若いひとの声「日本の始まりに学ぶ」
#シャハル会 が神武建国の道をたどる
今年3月、高校を卒業したばかりから20代までの幕屋の女子たちが全国から集まって、日本を建国された神武天皇の足跡を学ぶツアーがありました。学校では習わなかった日本の国の始まりを、現地に行って本気で学ぶ2泊3日です。
このツアーでは、ほとんど観光客が来ない山道を歩いて、ヤブをかき分けて顕彰碑を訪ねたり、自然石の石段538段を登った山の上で瞑想したりもしました。
また、熱く語る講師の方々から、今まで知らなかった建国の精神や、自分たちのルーツを学びました。
幕屋は、キリストの信仰に生きるグループですが、日本の神話を学び、日本民族の心を大切にしています。
今回のツアーは、参加した一人ひとりにとって、自分の生き方を見つめ直す機会となりました。(ツアー同行編集員)
①孔舎衛坂(くさえのさか)顕彰碑
大阪に上陸された神武天皇一行は、ここ孔舎衛坂で長髄彦(ながすねひこ)軍と戦い退却する。
②盾津(たてつ)
先の戦いで退却した後、ここで盾を置いて祈られた。
③竈山(かまやま)神社
負傷された五瀬命(いつせのみこと)はお隠れになり、葬られた。この竈山神社に御陵がある。
④那智(なち)の滝
神武天皇は熊野灘の沖合から、光る那智の滝を見られたという。
⑤神倉山
神武天皇が登られた山。ここから熊野灘(くまのなだ)を見渡すことができる。
⑥丹生(にう)の川上
進軍する前に勝利を祈誓された場所。
⑦神武天皇御陵
現在の奈良県橿原(かしはら)の地で神武天皇は即位されて、建国の基を据えられた。御陵もこの地にある。
『日本書紀』には、天からこの国を平和に治めるよう遣わされた民族(天孫民族)によって、長い年月と困難を乗り越えて日本建国の偉業がなされたことが記されています。
ツアーは、神武天皇が大和での建国を目指して大阪に上陸し、強敵・長髄彦と戦われた地・孔舎衛坂からスタートしました。
①今回、孔舎衛坂顕彰碑から始まった学びでしたけれど、日本の国はこんなに祈りが積まれて始まったということを、初めて知りました。
自分に軸ができたというか、私も祈って生きるんだと腹がすわった思いがしました。(I.S)
この戦いで、皇兄五瀬命が負傷され、盾津まで退却せざるをえなくなります。神武天皇は「敵に弱きを暴露しても、退いて天に祈ろう」と言って、雄叫びして祈られました。
③神武天皇や五瀬命が初戦に負けて退却し、弱い姿を敵に見せても、もう一度祈りに立ち帰って進んでいかれたことをお聞きして、すごく感動しました。
私も仕事で何をやっても上手くいかず、この会の後、退職することにしています。だから、私も祈って立ち上がりたいと勇気が出てきました。(M.N)
天皇は大和に行くため、紀伊半島を大きく迂回して、海路で熊野に向かいました。その途中、暴風雨に遭い次々と兄君たちを失います。また、山では魔物が現れるなど、苦難が続きました。
しかし、夢のお告げに助けられたり、八咫烏(やたのからす)が道案内したりと、天佑神助が一行を大和の地まで導きました。
④この那智の滝を、神武天皇は熊野灘から見られたといわれています。
熊野灘では暴風雨に遭って、神武天皇は2人のお兄様を亡くされました。でも、頼る人がなくなった時にこそ天は力を与えてくださる、というお話を聞きました。私も普段、失敗したり、一人追い込まれたりすることが多いですが、天を見上げて力を受けたいと思いました。 (T.H)
ツアーを通して感じたことを、参加者の一人に聞きました。
大いなるものに頼る
神武天皇の学びで心に刺さったのは「盾津」でのお姿です。それまで、神武天皇は九州の日向では名君として慕われ、東に進んでも各地の住民に歓迎されました。
だから、大きな問題はなかったと思います。でも大和に入ろうとした時に長髄彦に拒絶され、戦いにも勝てず、挫折を味わいました。
普通の人がこのような挫折に陥った時、敵をやっつけるために武器を集めようとしたり、周りの人に根回ししたりと、人間的な判断に頼ってしまうと思います。
でも神武天皇が実際になされたことは、自分を守る盾さえも捨てて、「どうか助けてください!」と天に祈ることでした。
私は、この神話を現地でお聞きして、今の自分の姿を重ね合わせずにはいられませんでした。
私は大学生活で友人や先生方に恵まれ、また勉強にも打ち込んで、成果を認められていました。
そして就職活動で、以前から願っていた職業に自信をもって挑みました。
それが「まさかの」不採用。
私は人格を否定され、この社会から拒絶されたような挫折を味わいました。
でも、神武天皇のお姿を思うならば、つらい時こそ、自分であれこれ考えるのではなく、「神様の声を聴かねばならない!」と、今回の学びを通して、私は心からそう思いました。
私たちはキリストの神様に祈っていますが、神武天皇に学んでわかったことは、自分を捨てて人間の力以上の大いなるものに頼って生きることは、日本人も聖書の民も同じなんだということ。それを発見して感動でした。
今回の学びを自分のこととして受け止めて、現実を乗り越えようとしている皆さんの姿とお話に、天からの励ましを感じました。
本記事は、月刊誌『生命の光』833号 “Light of Life” に掲載されています。