敬老の日によせて「おじいちゃん、何でそんなに元気なの?」
寺﨑麗子さんは、幕屋でキリストの信仰に生きる家族の3代目です。今月で90歳になる祖父の村山靖紀(せいき)さんと久しぶりに会って、聞きたかったいろんなことを尋ねてみました。最初の質問は……。
麗子 おじいちゃんが、何歳になってもとってもエネルギッシュなのでびっくりするって、いろんな人から聞くんです。何でそんなに元気なの?
祖父 さあ、沖縄に住んでいるからかな?
ぼくはもともと、生まれも育ちも北海道でね。それが、晩年を日本のいちばん南の沖縄で過ごすとはね。
麗子 沖縄だから元気って……? でも、北海道で生まれ育って今は沖縄なんて、何だかすごいなあ。
祖父 父が開業医をしていて、北海道の中でも特に寒い旭川市に住んでいたんだよ。戦前・戦中の旭川には、陸軍の第7師団があってね、国を守る意識が高かった。
父は軍属として徴用された時も、お国のために働けることを誇りに思っていたようだね。
麗子 そういう環境で育ったんですね。おじいちゃんのころの学校生活は、どうだったの?
祖父 ぼくが通った小学校の校長先生が、ものすごい愛国者でね、厳しくも愛国心を育(はぐく)んでくれた。
祝祭日には、コークスの燃え殻が敷いてある校庭を行進させられるんだ。ぼくは級長だったから、「校長先生に奉(たてまつ)りー、頭(かしら)ー右!」って号令をかける。内気な性格のぼくだったけれど、お国のためだと思うと満足感みたいなものはあったね。日の丸がはためく校庭で、天皇陛下の御稜威(みいつ)がこの北の果てにまで広がっている、そのことに先生方も生徒も誇りを感じていた。
麗子 その、コークスって何?
祖父 石炭を加工したもので、燃え殻はザクザクに尖(とが)った塊になる。その上を裸足で歩かせ、戦地の兵隊さんはもっと大変な苦労をしていることを体感させたんだよ。
麗子 えーっ、今なら保護者からクレームが来ちゃう。私の子供のころとは全然違うね。愛国心って、あんまり思ったことがなかった。
祖父 時代は変わっても、日本の尊さ、誇りを忘れちゃいけないよ。
村山靖紀 手島郁郎の弟子。90歳。現在も沖縄でキリストを伝えている。好きなものは、昭和の国民歌謡。
寺﨑麗子 東京都在住。25歳。明るくひょうきんな性格。好きなものは漫才。現在、キリスト聖書塾に勤務。
◆ 戦後の体験
祖父 昭和20年8月15日に、玉音放送で敗戦を知った。でも、実感がなかったね。
一つ感じたのは、学校の先生が変わってしまったこと。尊敬する存在だったのに、戦後は、ただの給料取りになって賃上げ闘争をやる姿に、裏切られた思いがした。一部の先生かもしれないけれどね。
麗子 私は小学生の時、お父さんの仕事の関係で、イギリスで日本人学校に通ったけれど、尊敬できる立派な先生はたくさんいたよ。
祖父 麗子は、志の高い先生方に学ぶ機会があってよかったね。
麗子 ところで、おじいちゃんが昭和の大ヒット小説に登場しているってホント?
祖父 実は、三浦綾子さんが書いた小説『氷点』の登場人物の一人、村井靖夫という名前の中に、ぼくの名前の一部が借用されたんだね。
三浦さんも旭川の人で、短歌が縁で知り合った。10歳年上で、ぼくには姉さんのように、何でも話せる存在だったんだ。それで小説だからということで、気軽に名前の“借用”を承諾したわけ。
◆ キリストの道に
麗子 キリストの信仰で生きはじめたのは、どうしてなの?
祖父 ぼくは北海道大学の医学部に入ったんだが、勉強に身が入らなくてね。かえって、友人に誘われて行った教会の活動のほうに熱心になったんだ。でも、そのうちに疑問を感じはじめた。
ある時、ぼくを誘ってくれた友人が突然、「君は、『ローマ人への手紙』の第10章にあるように、イエス・キリストを主と認めるか」と言うので、否定はできずに、「はい」と言ったんだ。
すると「ハイ、救われました! 村山君は信じて義とされました。おめでとう」と言われて、周りにいた皆が賛美歌をうたいだした。
しかし、その時点では救われた実感もないし、強制されたような思いがあったね。
麗子 私は幕屋の中で育ってきたから、そういうの違和感があるな。
祖父 そうだね、幕屋の信仰は、教理や教義の理解ではないから。
でも、ここからが始まりなんだ。ぼくは弟の勧めで『生命の光』を読み、霊的な救いに渇きはじめた。
◆ 兄の死と聖霊の働き
そんな時、長兄が結核で死んでいくんだね。その知らせを受けた時、「神様、兄の魂はどこに行ったのですか」と呻(うめ)きながら祈った。
すると、天からワーッと生命がやって来た、何とも言えない喜びのね。とにかく喜びなんだよ。
『生命の光』で、手島郁郎先生の講義を読んで祈っていたから、天界の喜びはほんとうにあると感じていた。お葬式で皆さんが長兄を悼み、悲しんでくださるけれど、申し訳ないほど、兄が天に凱旋したという喜びが、わいてわいて止まらないんだよ。
これは、聖霊による働き以外に考えられないことなんだ。
麗子 悲しいけれどうれしい、それはわかる気がします。私も、同じような経験をしたことがあるの。
私が高校生の時だったんだけれど、お父さんの妹の櫻井直子おばちゃんが、がんになって、もう末期だって宣告されたんです。
いちばん最後に会った時は、起き上がることも、うまく呼吸することもできない感じだった。でも、「よく来たね」と言って握手してくれたの。その時、細い手なんだけれど温かくて、何よりも顔が輝いていたんです。そして、賛美歌を何曲も何曲も一緒にうたって、涙をポロポロ流しながら「うれしい、うれしい」って喜んでいるの。
私はその姿に、衝撃と喜びが入り交じったショックを受けました。間もなく亡くなったけれど、悲しいはずの告別式なのに、喜びに満たされて天にお送りしたんです。
それから私も信仰で生きたいと思って、やがて聖霊に触れる回心を経験することができたんです。そうしたら生き方が変わりました。
祖父 そうだね。ぼくが若い時に夢中になった教会では、聖霊ということをだれも教えてくれなかった。
でも手島先生の説かれる原始福音には、聖霊に触れる現実がある。この聖霊を抜きにして、家族であっても本物の信仰はつながらない。
◆ 信仰で生きる家族
ぼくは、どうしても手島先生に直接、霊的な信仰を学びたくなって、勤務していた病院を辞めて、そのころ、大阪におられた先生のもとに行くことにしたんだ。先生は、「村山君は、医者の道を棒に振ってでも北海道から出てきた」と、わが子のように愛してくださった。
そして、ぼくは伝道の道を志した。やがて先生のお世話で麗子のおばあちゃん、百合子と結婚して、信仰の家族が始まったんだよ。
そして今も、ぼくはキリストを伝えていく希望でいっぱいなんだ。
麗子 すごいね! おじいちゃんの元気の秘密が、私にも少しわかった気がします。今日は、話せてほんとうによかった。おじいちゃん、ありがとう。
本記事は、月刊誌『生命の光』835月号 “Light of Life” に掲載されています。