クリスマスに寄せて「星空の下の羊飼い」
町山救郎
12月に入り、聖書にあるイエス・キリストご誕生の箇所を読むと、思い出される情景があります。
羊飼いたちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使いが現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使いは言った、
ルカ福音書2章8~11節
「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生れになった」
私は帯広畜産大学の学生時代、羊について研究をしました。それで研究室の実習のため、3年生の時に北海道東部にある標茶(しべちゃ)という町の牧場で、1カ月間過ごしたことがあります。
この牧場は丘の上にあって、360度見渡す限りの地平線が広がっていました。そこに、約300頭の羊が飼育されていました。昼間に働く作業員が帰った後、先輩と私の2人は、牧場内の詰め所で寝泊まりしました。
夜は、羊たちの見回りをします。
その日は、特に空気が澄んでいて雲もなく、空には満天の星がキラキラと光っていました。
そして、聞こえるのは羊たちの鳴き声だけでした。
「ああ、この情景。
これはまるで、羊飼いがイエス・キリストの誕生を告げられた時の情景ではないか!」
私は何か、感動するものを覚えました。
もしその時、聖書のように御使いが現れ、主の栄光にめぐり照らされるという光景に出くわしたなら、私は腰を抜かしていたに違いありません。
だれもが待望していた、救世主(メシア)の誕生という重大な知らせです。世の権力者である王様や、大祭司に告げられてもおかしくありませんでした。けれどもそれは、貧しく、卑しい身分とされていた羊飼い、夜通し野宿しながら羊の番をしていた、名もない羊飼いたちに告げられたのです、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と。
実際、私たちも泥だらけになりながら、羊と一緒になって過ごしていました。決してきれいな仕事ではありません。
羊と羊飼い
羊は憶病で方向音痴、とても不器用な動物です。そしていちばんの特長は、「従順」なことです。毛刈りをする時も、飼い主にすっかり身を任せ、中には眠ってしまう羊も。そんな姿を見ていると、愛情をもって守ってやらなければ、という気持ちになるのです。そうして羊と羊飼いとの間には、強い結びつきができます。
御使いからイエス様の誕生を知らされた羊飼いたちは、疑うことなく「さあ、主がお知らせくださったその出来事を見てこようではないか」と語り合い、急いでダビデの町・ベツレヘムへ向かいました。
羊だけでなく、羊飼いも同様に従順だったことがわかります。そのような心をもつ羊飼いを神様は選んで、御告げを伝えられたのではないでしょうか。
従順であること。それは、私自身の願いでもあります。
その牧場での実習から半年後の冬、私は突然の病に倒れました。入院が長く続き、卒業後の進路も断たれた私は、すっかり希望を失っていました。
ある夜、病室で祈っていると「わたしが共にいる」という神様の囁(ささや)きと共に、光に包まれる経験をしました。すると喜びが突き上げてきて、「あなたが共におられるなら、一切を失ってもかまいません。私の人生をあなたにささげます」と祈らされました。
その日から現在までの三十数年間、幾度も床に伏すところを通りましたが、どんな時もキリストが伴ってくださり、乗り越えることができました。
クリスマスを前に、夜空を見上げて思います。
羊飼いがイエス様のご降誕を喜び伝えたように、私を贖ってくださったキリストを証しし、御心を従順に歩む者でありたい、と。
プロフィール
町山救郎 57歳 東京都在住。
本誌校正者。 趣味=小型水槽のアクアリウム、大相撲の勝敗チェック(若隆景 推し)
本記事は、月刊誌『生命の光』838号 “Light of Life” に掲載されています。