宇宙時代の人間
人間が単に猿の進化した、高等な哺乳(ほにゅう)動物だけなんでしたら、今のように行き詰まった世界の文明の前途がどうなるのか、非常に憂えられます。
だれしも各民族間の対立、国々の戦争、ゲリラの残虐な行為などが公然と行なわれ、ひどい公害に地球全体が蝕(むしば)まれつつあるのを見ますと、地球の破滅、歴史の終末をひしひしと覚えずにおれません。
しかし、また一方、現代の文明について、新しい希望もないわけではありません。最近になって、科学文明も進んできましたもので、宇宙時代というような驚くべき時がやってきています。
先日のテレビ放送で、アメリカの人工衛星から飛び出した宇宙飛行士が、宇宙遊泳ということをやってのけ、虚無の空間を泳ぎながら、宇宙ロケットのドッキングや修理をやっているのを見まして、私はハラハラいたしました。
考えてみれば、これは大変なことです。私たちは大地の上なら安心して歩いておれますが、水の上を歩いたり水の上に寝て浮き身をしたりということになると、だれでもそう簡単ではありません。泳げぬ人には恐ろしいことです。
しかし、少し練習すれば水の上を歩けずとも、寝てみたりはできます。
この浮き身というのにはコツがありまして、自分の全身からすっかり力を抜いて、死んでお陀仏になったようにしますと急に浮力がついて浮かび上がります。緊張して体に力を入れますと、水の中に沈みます。
でも、何といっても、空気も何もない、遠い宇宙の虚空の中を泳ぐということになると、いったいどうしたらできるんだろうかと思います。
物理学者のジンドウアキラ博士は、「なに、いちばん良いですよ。宇宙は無重力状態ですから」と言いますが、そう言うのと実際に自分が行なうのとは違うもので、思うだけでも私は戦慄(せんりつ)いたします。
とにかく、以前に私たちが考えてもできないような、不思議なことが次々行なわれる時代とはなりました。
先年、アメリカのプリンストンに行きました時に、ゼネラルモーターズの宇宙ロケット研究所の開発部長・ジョンソン博士と親しく話し合う機会がありましたが、そのときジョンソン博士はこんなことを申しました。
「ブラザー手島、私はこう思うんです。神が今世紀に、あなたのような聖霊の人を起こされたのは、深い意味があります。神の御霊にバプテスマされた新しい人間たちが次々と起こらなければ、もう、とてもこの新しい宇宙時代は、しのいでいけないんじゃないかしら。
第一に、宇宙飛行士は何しろ地球をはるか離れた真っ暗な無限の虚空に飛び出していくんですが、電離層や放射能帯など、まだわからぬ危険な空間がいっぱいあります。それにちょっとでもその軌道が狂ったら、放物線を描いて二度と地球に戻ってこれないかもしれません。その上、頼みとするロケットから体を乗り出して、虚空を泳いだりして、月世界を探検してみたりもするわけです。しかも、そのロケットは時速何万キロのスピードで走っているんですから、その恐怖と孤独感というものは、ただごとじゃありません。
そんな宇宙飛行士には、体が強いとか頭が良いとかというだけでは駄目でして、どのような危険の中にも心のバランス、平安を失わずに困難と不安に打ち勝つ、腹の据わった人間でなくてはならないんですよ。それにはどうしても新しい条件をもつ人間作りをしなければなりません。
神はこの要求にこたえるために、聖霊の民を起こされはじめたんだと私は思うんです。聖霊にバプテスマされた者は、どこにおいても神の懐におるがごとくに平安ですから、今度、月世界に初めて飛ぶ宇宙飛行士には、聖霊に満たされて異言・秘密真言を語るカリスマ的なクリスチャンもいますよ」
このようにドクター・ジョンソンは申しておりました。なお言葉を続けて彼が言うのに、
「私自身にしても、宇宙開発という前人未到な仕事の研究責任者なんかにはとてもなれる人間じゃなかったんでしてね。少し研究しても、すぐひどく神経が疲れて、悩み苦しんで困っておりました。
そんな時に、あなたの友人のジム・ブラウン牧師から、聖霊のバプテスマという神秘な信仰に導かれ、救われたんでしたよ。それからというもの、大いに力を得て、何とか新しい科学研究の指導をいたし、また指揮もできるようになりましたが、宇宙開発の研究は全く広く新しい分野なので、従来の方法ではとても追いつきません。
しかし、聖霊に満たされて霊感状況で祈ってやりますと、どしどし新しい独創的なアイディアがわきまして、困難な壁も不思議に突破してゆけるんです。
弱い私を、聖霊は言いがたき嘆きをもってとりなし、神の霊が霊感してくださるんです。宇宙ロケットの開発では、今までソ連に後れを取っていましたが、今後はもう違いますよ。人間の頭脳プラス神の霊感で私たちは研究を進めはじめていますから、神なき唯物論者たちには負けません」
こういうことを言っておりましたが、はたしてそのとおり、まだソ連は、人間を月世界に送り込むまでには至っておりません。
その時、私が印象深く忘れられない言葉は、
「こんな宇宙開発が進んできて、原子力や超速度のロケットが駆使される時代になった以上、今までのように人類が民族相互でいがみ合い、争い合うようなことをしていたんでは、とても危険です。お互い自滅してしまいます。
しかし、聖霊にバプテスマされた者たちは互いに国境を越え、民族の差を知らずに真に抱き合う愛情が共通にわきますので、まさしく次の時代を担うのは、私たちカリスマ的な愛の濃いキリスト教徒だろうと思います。新しく一つの神の霊に結ばれて、一つ言葉を話し合って、民族の差を越えて愛し合う、地球人としての一体感を覚えられるんですからね」
と、こんなことを、ジョンソン博士は目を輝かせながら語っておりました。
その第一は、ひどく不安な時にも、神の聖なる霊は宇宙飛行をも平安ならしめる。
第二に、聖霊の霊感は、独創的研究を助ける。
第三に、全人類が一つの兄弟、同胞(はらから)として一体感を感じて生きられる。一つの大生命・神の霊に満たされるからである、というのにあります。
イエス・キリストは、幕屋祭の終わりの大いなる祭日に叫んで言いました。「もし、だれでも渇く者は、わがもとに来たって飲めよ。私に信ずる者は聖書が言うとおりに、その腹から生ける水が川のごとくに流れいでるであろう。これは、イエスに信ずる人々が受けるはずの御霊について言われたのである」(ヨハネ伝7章)
事実、聖霊の実感は頭にはなく、五体全部に、特に腹の中から一つの生命がわき出して、自他の一体感を覚えしめます。
聖書においては、腹部、胃腸のほかに、肝臓や腎臓こそハートの座であると解釈しております。
私たち人間の最も深い精神作用は、おなかの奥底から働くということをイエス・キリストは言われたのでした。
私たち、同信の友同士を兄弟姉妹同胞(はらから)と呼び合いますが、本当の隣人愛は、この一つの神の御霊が腹からわき出すときに始まると思います。
キリストが弟子たちにくれぐれも説かれたことは、「ヨハネは水でバプテスマしたが、おまえたちは聖霊の中にバプテスマされるであろう」(使徒行伝1章)と言って、神の霊に浸されて生きることが、最も信仰生活上大切であると述べられました。
今のキリスト教ではこの点を重視しておりませんが、「もし自分が清められた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い刑罰に価するであろうか」(ヘブル書10章)とありますように、キリストは十字架の上に血を流しながら、その御血汐(おんちしお)、その神の御聖霊(おんみたま)を人々に恵むためであったのでした。
それを侮る者は重い刑罰に価すると言い換えているのでもわかりますが、キリストの中心的真理は、この十字架の上に流された神の生命・神の霊をむなしくしないことにあります。
神の霊に潤され浸されると、罪から清められ、清々しい信仰生活が始まり、今までの自分が弱く悩み苦しんでいたのに、急に聖霊によって宇宙開発を志すジョンソン博士のような大能力まで芽生えてくるのには驚かされます。
どうぞ、若い諸君が普通の儀式やお寺参りの信仰ではなくて、神の霊にプレローマ――満たされる信仰をもって生きられるならば、どんなに心強く前途有為な生涯を繰り広げられてゆかれるかわかりません。
どうぞ宗教的な秘密力に加持されて、大胆に人生を有意義に踏み出されるよう祈ってやみません。
(1973年)