神との出会い
主イエスは言われました、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、あなたの神、主を愛せよ』。これが最も大切な第一の戒めである」(マタイ福音書22章37~38節)と。
宗教生活の第一の心得は、全身全霊で神を慕い求めてゆくところにあります。
法然上人の歌に「われはただ 仏にいつか あうひ草 心のつまに かけぬ日ぞなき」とあります。あうひ草・向日葵(ひまわり)が太陽の光を求めて、朝から夕方まで、黄色な大きい花の顔をめぐらせつつ、動きまわるように、阿弥陀仏(サンスクリットでは「アミターバ(永遠の光)」)を慕ってただ光を追い求めつつ、御仏の顔を仰ぎ、合一したい心であったのが、法然上人の南無阿弥陀仏の心境でありました。
南無とは「帰命(きみょう)し、合一し、ゆだねきる」という意味の言葉ですが、もしこの太陽の光を求めつつ生きる、あうひ草が、西の山の方に日が落ちて消えゆきますと、すっかりうなだれて、顔を伏せてしまいます。そのような気持ちが法然上人の心境だったのでしょう。
慈悲深い阿弥陀仏の光は遍く照っています。阿弥陀如来なしには生きてゆけぬこと、それは法然だけでなく、動物や植物でもそうです。人間の赤ん坊は母親の愛にすがらねば生きられぬのと同様に、母子一つになって合一し、帰一(南無)する心も同じです。
われら、ひとしお凡夫(ぼんぷ)の身とて、泣き声をあげて、母親の顔を呼び求めるように、いつも心のつま(端)にかかってやまぬ、御仏を慕う心こそ、法然の信仰の基調でした。まことに法然上人の信心ぶりは、信仰というよりも、むしろ「アミターバ(永遠の光)」への恋愛感情にも近いようなものでした。
それで「かりそめの 色のゆかりの 恋にだに 逢ふには身をも 惜しみやはする」という法然の歌にも見えますように、愛人が恋人に会うと思うだけでも、身も心も燃え立つではないか。法然上人は南無阿弥陀仏というか、帰命無量寿如来「永遠の生命(アミターユス)」に帰命し、出会いたい信心ぶりは、まさに恋にあせり、もどかしがる心にも似たものなのでした。
信仰とは、最高の実在者に出会いたい心に始まります。仏教徒の法然でも、そうでした。まして、クリスチャンたる私たちが、もっと唯一の贖い主にいますキリストへの慕情をひとすじに、キリストとの出会いを待ちこがれる熱烈な感情がなくして、どうしましょう。ひとたび、人間は真っ暗な人生の闇(やみ)に嘆いておりましても、キリストに出会い、「永遠の光」に照らし出されると、たちまち暗闇に嘆くことも忘れて大喜びいたします。キリストこそは、人類を照らす真の光――われらを贖う「生命の光」であります。
実在の人格神
仏教では、阿弥陀仏は一つの観念的存在にすぎませんが、聖書の神は「実在の実在」なのです。
三千数百年前の昔、聖書の宗教を確立しました神の人モーセは、エジプトのナイル川に捨て子になって、葦草の中に捨てられておりましたのを、エジプトの王女が拾い上げて、王宮で育て、最高の教育を受け、他に並ぶなき高い地位に上ったのでありましたが、イスラエル人がエジプト人に虐げられるのを見ては、そのエジプト人を撃ち殺したことがあります。この殺人事件が発覚し、エジプト王パロは彼を捕らえて殺そうとしますので、急いでシナイ半島のかなた、ミデアンの砂漠に逃れました。
異郷の地で羊飼いになり、シナイ砂漠のホレブの山奥にさすらい、流浪しておりました。人生に絶望して、死を求めても死ねず、苦しんでおりました時に、急に、柴草が燃ゆる不思議な火の中から「モーセよ、モーセよ」と呼びたもう神の御声を聞きました。近づこうとしますと「ここは聖なる地である。靴を脱げ」と言われました。彼は「あなたはだれですか」と問うと、「われは在りて在るもの、エホバである」という答えを聞きました。
神は、実在の実在、目に見えずとも主は厳然として実在しています。伝道とは、この生ける主なる神に出会う不思議な経験を伝え、それを共にするのにあります。しかし、人々は神に出会うという経験がないままに、神ご自身が「われである、なんじモーセよ」と呼びかけられても、わからずじまいにあります。
われとなんじの出会い
人間は一人、自分で生きておる時は、われの尊さを知りません。しかし、生ける人格的な神に「なんじ、おまえは」と呼びかけられると、自分が神の前に呼び出された人格の尊さに、真のわれを発見いたします。
私が好きな歌に
われをわれと しろしめすぞや 皇(すめろぎ)の 玉の御声の かかるうれしさ
という高山彦九郎の歌があります。高山彦九郎といえば、王政復古を志し、徳川幕府を転覆して新しい世紀を迎えるために奔走した人物でした。彦九郎は皇室の衰えを嘆きまして、何とかして王政復古の実現を図りたいと願いました。しかし、そのためには死んでもかまわないと思うほどにも活躍しましたが、その動機はこうでした。
ある時のこと、高山彦九郎が琵琶湖のほとりを歩いておりますと、一匹の大亀を捕まえている男がいます。それを見ると大変に珍しい亀でして、緑色の毛の生えている蓑亀(みのがめ)でした。このような亀は、昔から非常にめでたい瑞兆(ずいちょう)とされております。それで彦九郎は、少なからぬお金を払って買い取り、友人に頼んで大事に育ててもらっておりました。というのも、何とかして京都で天皇様に拝謁したいと念願しておったからです。
彦九郎は自分の低い身分を思うと、また、徳川幕府の厳しい監視の目を知るにつけても、天皇様にお会いする機会が巡ってきそうにありません。が、もしこの珍しい亀を天皇様に献上してお喜ばせできるならば、その名目ならば、宮中に参内できるかもしれん、と思いつきました。
やがて、首尾よく光格天皇に拝謁する光栄を得ました。その時、彦九郎は天皇様から破格のお言葉を賜り「おまえが高山彦九郎なのか。おまえが皇室の衰えを嘆き、王政復古のために尽くそうと、隠れて働いておる勤皇の志士の一人、その彦九郎なのか」と。この時の天皇様との出会いの感激を、このような歌に詠んだのです。
われをわれと しろしめすぞや 皇(すめろぎ)の 玉の御声の かかるうれしさ
「私のようなつまらぬ人間を覚えて、畏れ多くも、日本を治められる天皇様じきじきに御声をかけて、お会いくださったうれしさ! この感激に、もう自分は自分でない、死んでもよい」と、われならぬわれの自覚が彦九郎に起こり、奮起して国事に大奔走し、新時代の到来のために大活躍したのであります。幕府の追及厳しく、他の同志に迷惑の及ぶのを恐れて、久留米で皇居の方を遥拝しながら切腹いたしました。これは、私どもが神のメシア――聖霊として実在する神に見いだされた者の感激に、何か共通するものがあります。
召命の感激
架空な観念の阿弥陀仏でなく、地上の天皇ではない、天地を主宰なさる大実在の神が、こんなつまらない罪深い人間、どこかの路傍の草むらに打ち捨てられ、死んでおってもしかたのないような私です。しかし、こういうつまらぬ手島を捕らえて、神の国の器として伝道に用いたもうキリストのおぼしめしを思うと、感激に打ち震えます。
私のような卑しい者を贖い取ってくださったキリストのためには、死んだってかまわんと思えばこそ、人々の批評など眼中に置かず、ただ「主よ! あなたの御心をお喜ばせまつることをいたしたい!」と、キリスト中心の伝道生活を、今まで続けてきたのであります。神の使命を果たすべく、世の風潮に抵抗しても、信ひとすじに生き抜こうとすることは厳しく、また孤独な運命を甘んじなければなりません。それでも、一身を棒に振っても幸福です。
こういう強い感激、感動というものは、どこから来るのでしょうか? それは私を知って、贖ってくださったキリスト、私のような者に「おまえを……」と呼びかけてくださる主キリストがあればこそです。イエス・キリストも「アバ、父よ」と言って、父なる神を見上げて生きられましたが、深く神に愛された者は、どうして神に背き、神の御心をほかにして歩いてゆけましょうか!
人格的な神との出会いこそ、信仰の出発点です。あなたがどうか、顔と顔とを合わせて神をおろがみまつられる日がありますよう、私は祈っております。