若いひとの声「神様の懐に逃げ込めば」

牧野守

私はイスラエルのエルサレムにあるヘブライ大学で、生命科学を学んでいます。

生物の進化について学んだり、細胞やDNAがどのような影響を与えるのかを調べたりして、医療やバイオテクノロジー、薬学などの分野に活かすための学科です。

ある時、昆虫やミミズなど、小さい生物について学びました。ミミズを解剖して体内構造を見ると、小さな体内に神経や血管、内臓などが複雑に組み合わさって、一つの生物体となっているんです。

熱心なユダヤ教徒の教授が言いました、「私たちが見過ごすような生物でさえ、内側はこんなにも美しく精巧に造られている。これは人間業ではない。こんなことができるのは神様しかいないよ」と。

それを聞いて、小さいころによくうたった賛美歌を思い出しました。

  小さいものをも お恵みある
  神様わたしを 愛したもう

それまで生命科学って宗教とは正反対の世界だと思っていました。でも、私が学んでいる分野でも、神様の御愛を感じることができるんだと思って、うれしかったです。

私は、母子家庭で育ちました。

父は私が1歳になる前に、突然いなくなってしまったそうです。

小学校で、「お父さんの仕事」について発表する時がありました。「うちはお父さんいないな……」と思って。ある意味、ずっとコンプレックスだったんです。友達に聞かれてもはぐらかしていたし、父親という存在について、なるべく考えないようにしていました。

幕屋の信仰をもつ家庭に育ちました。でも父がいないこともあってか、「神様って何だろう」「宗教って何だろう」って、頭で考えてしまうんです。宗教の本も読んでみるのですが、どれだけ考えても求める答えにはたどり着けない。中高生になると、幕屋の集会にはほとんど行かなくなりました。

小さいころから、医者になるのが夢でした。でも、大学受験で失敗してしまって、1年浪人しました。自分なりに一生懸命勉強しましたが、次の年も駄目だったんです。

これからどうすればいいかわからなくて、ずっと泣いていました。そんな時にふと、「イスラエル留学」という思いがわいたんです。

高校生の時、幕屋のイスラエル研修ツアーに参加したことがありました。「もう一度イスラエルに行けば、何か新しいことが始まるかもしれない」、そう思って留学を決心しました。でも半分は、つらい現実から逃げたい、そんな思いでイスラエルに来たんです。

初めの半年間はキブツ(共同村)で幕屋の留学生と共に祈りながら、ヘブライ語を勉強し、働きました。新しい環境での日々は楽しかったです。でも、祈りや信仰とは何か、まだよくわかりませんでした。

ある時、幕屋の先輩が「一緒に聖書を読もう」と声をかけてくれました。

それまでほとんど聖書を読んだことがありませんでした。でも、「聖書を自分のことと重ねて読むんだ。そして、祈りの中で神様との関係を確立するんだよ」と言われました。それからは毎朝、外に出て祈るようになりました。

ある時、エンゲディという所を訪れました。そこにある、サウル王に命をねらわれたダビデが逃げ込んだといわれる洞窟(どうくつ)で聖書を読み、瞑想した時でした。詩篇57篇の、「神よ、わたしをあわれんでください。わたしの魂はあなたに寄り頼みます。滅びのあらしの過ぎ去るまでは、あなたの翼の陰をわたしの避け所とします」という聖句が胸に響いてきました。

行き詰まり、神様に叫ぶしかなかったダビデ。しかし、やがてはイスラエルの王となり、今も信仰の人として慕われています。

それまで、失敗して逃げるように留学に来たことを、どこか負い目に思っていました。でもそうじゃない! ダビデのように神様の懐に逃げ込むことができれば、それは失敗ではなくなる。また新しい挑戦をすることができるんだ!

この時、初めて自分の神様を発見したように感じて、うれしくて涙があふれてきたんです。

キブツでお世話になった方の中に、シングルマザーがいました。私が、「ぼくは、会ったことがないから、父親を知らないんだ」と言うと、「つらいことでも、自分のアイデンティティーを知ることは大切なことよ」と言われたんです。

それで初めて母に手紙を書いて、父のことを聞いてみました。

母から届いた手紙には、父も信仰をもっていたこと、さまざまなことがあって家を出てしまったこと、そして「神様と多くの方のご愛に支えられて、今の私たちがあります」と書かれていました。

昨年、数年ぶりに一時帰国した時、母から「お父さんが倒れた」と連絡がありました。そして翌日には、大阪の病院で息を引き取ったと聞きました。

その時、私はたまたま大阪を訪れていました。正直、「今さら父親と会っても……」と複雑な気持ちでしたが、後悔したくないと思って告別式に行くことにしました。

そこで初めて父の顔を見ました。安らかな顔をしていました。幕屋の皆さんが心を込めて、父の魂のために祈ってくださいました。

その時、「いろいろなところを通った人生だったかもしれないけれど、ぼくの父親であることに変わりはないんだ。ぼくが最後の時に来られたのも、神様からお父さんへの御愛だったんだなあ」と、すごく感謝がわいてきたんです。

キリストの神様は、挫折(ざせつ)による敗北感を拭(ぬぐ)い、喜びを与え、矛盾を感謝に変えてくださいました。

小さいものをも愛してくださる神様の導きを感じながら、希望をもって学びを続けています。

牧野守(24歳)
横浜生まれの横浜育ち
好きなこと:バスケ、読書
座右の銘:「義を見て為(せ)ざるは勇なきなり」


本記事は、月刊誌『生命の光』855号 “Light of Life” に掲載されています。

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