エッセイ「山里の緑が輝いて」

佐藤佳子(よしこ)

長女を授かった時に、私たち夫婦はイスラエルに住んでいました。言葉もよく通じない外国で、初めての妊娠でした。

5カ月目の検診の時です。おなかの子供の心臓に異常があるかもしれない、と言われました。そして、もっと設備の整った病院で検査してもらうことを勧められました。それが、エンカレムにある病院でした。

マリヤが歩んだエンカレムへの道(イラスト)

新約聖書のルカ福音書に記されているエンカレムは、エルサレムの郊外にある山里です。

エルサレムから遠いナザレに住んでいたマリヤは、結婚前でしたが、御使いからイエスの懐妊を告げられます。当時、未婚の女性が身ごもるなど、重罪に値するようなことでした。それでもマリヤは御使いに、「お言葉どおりこの身に成りますように」と答えました。

そして、親族のエリサベツの住むエンカレムに向かいました。長い間、子供を授からず、老年になっていたエリサベツも、主の御使いの御告げがあって6カ月の身重になっている、と聞いたからでした。マリヤが訪ねてきた時に、エリサベツのお腹の子が躍った、そしてエリサベツは聖霊に満たされた、とルカ福音書にあります。その時にマリヤの口から出た言葉が、有名なマリヤ賛歌です。

「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう」

ルカ福音書1章46~48節

エンカレムの病院に向かう私は、不安でいっぱいでした。検査の結果は、胎児の心臓についてはよくわからないが、羊水が少なく発育がとても悪いので、とにかく安静に、とのことでした。さらに不安が増して、どうしたらよいのかわからなくなってしまいました。

帰り道、見えるのは足元の石畳ばかり。これからどうなるのか……。その時にふと、この石畳をマリヤはどんな気持ちで歩いたのかな、と思ったのです。

聖書には、大急ぎで山里へ向かったと書いてあります。自分の所に突然、御使いが現れて、信じられないことを告げられ、驚きと不安があったはずです。でも、身重の体で走るようにやって来たマリヤ。天の祝福によって子供を授かったことが感謝で、それを一刻も早くエリサベツと分かち合いたかった。一緒に主を賛美しようと急ぐマリヤの姿が、私の中に迫ってきました。

この山里の村でのマリヤとエリサベツの出会いは、エリサベツのおなかの子が躍るほど喜びに満ちていた。そんな聖霊に覆われた中からイエス・キリストは誕生されたんですねと、感動で胸がいっぱいになりました。

ふと目を上げて周りを見ると、山里の緑がきらきらと輝いているのが目に飛び込んできました。

ああ、私もこれからの日々、聖霊に覆われて過ごしたい、と祈りがわきました。いつの間にか不安は消えていました。 

それから数カ月後、日本に帰国して長女が生まれました。小さい小さい赤ちゃんでしたが、たくさんの祈りに守られて育ち、今では2児の母となっています。

神様のあわれみを賛美してやまなかったマリヤの賛歌は、私の祈りになっています。


本記事は、月刊誌『生命の光』856号 “Light of Life” に掲載されています。