信仰の証し「どんな苦難さえも恵みに」

吉田暁(あきら)

「ぼくのお父さんは、普通じゃない」

子供のころ、私はコンプレックスを抱いていました。

父は私が1歳の時に病気で半身不随になって、体の左側を動かせません。今でも左足を引きずりながら歩き、バイクは左手を縛りつけて走らせています。

キリストへの信仰熱い父を尊敬はしていましたが、私は小さい時、周りの友達みたいに父親と遊ぶことができなくて、寂しくてしかたありませんでした。

お父さんと一緒にキャッチボールがしたい、走って遊びたい……。でも実際は、友達に父を見られるのが恥ずかしいという気持ちが勝り、つらく、悲しかったです。何度か一人でワンワン泣いた記憶があります。

それが変わったのが12歳の時。父に付き添われて、幕屋の同世代の中学生が集う会に参加しました。その中で、神様に伴われて歩む信仰が強められることを願い、炭火の道を祈って渡る時がありました。私は必死に祈り、火の熱さを忘れるほど神様の温(ぬく)もりに包まれて、涙がボロボロ流れる、うれしい体験をしました。

その直後、その場にいた大人にも、希望者は渡ってくださいと言われました。その列に父が加わるのを見て、「うそだろ、お父さん」と目を疑いました。

しかし父は、順番が来ると動く右手だけを天に向けて上げ、炭火の道を踏みしめるように渡りました。左足はもちろん引きずりながら。

その時、はっきりわかったことがあります。私が、見られるのが恥ずかしい、嫌だなと思っていた父の左側にこそ、神様がおられることを発見したんです。

そして、なんで幕屋の人は、病気を患い、障害をもっていても証しや賛美が噴き出るのか、祈ったらうれしいねと言い合うのか、その理由がわかりました。それすらも恵みに変えるのがキリストの信仰なんだ、と。

大人になった私は、この喜び、この信仰を伝えていきたいと願いました。介護士として働きながら、福井、東京と居を移し、キリストの伝道の一端を担うことを自分の使命としてきました。

私が病に

ところが、東京に移って2年目、夜勤や人間関係のストレスからでしょうか、仕事に行けなくなってしまいました。自律神経失調症と診断されました。

休養をするようにとのことでしたが、食事をし、薬をのんで、後はただ眠る生活を数週間繰り返すうちに、廃人のようになってしまうのでは、という恐れがわいてきます。薬をのみ忘れると感情が爆発し、子供たちに怒鳴り散らしてしまい、自責の念に駆られました。

「このままでは普通の生活ができなくなり、自分がだめになってしまう」と絶望感に苛(さいな)まれ、将来どころか、現在や過去までもが真っ暗に感じた日々でした。

そんな時、長野で農業を営む幕屋の方が私のことを気にかけて、「畑を手伝わないか」と誘ってくださいました。このまま家にいても、自分のためにも家族のためにもならないと思い、行くことにしました。

畑では、1日がとても長く感じました。病のせいで、体は疲れていても夜中に何度も目が覚めます。1時間眠り、1時間起きる、そうしているうちに朝が来る。最初の2週間はとにかくきつかったです。そんな私を、共に働く方たちは辛抱強く見守りつづけ、共に祈ってくださいました。心は少しずつ上を向きはじめました。

6月、畑にトマトの苗を植えることになりました。その前にポットで育てていた何百もの苗の中には、生育が不十分で、畑には植えられないものがいくつかありました。「この苗はどうするのかな」と思っていると、「これをビニールハウスに入れておいて。朝晩はまだ寒いから、日が出てから外に出して、水をあげて。植えられるようになってから植えるから」と指示を受けました。

ある夕方、いつものように苗をビニールハウスに入れて、水やりをした時でした。「わたしの父は農夫である」(ヨハネ福音書15章1節)というキリストの言葉が、ポッと心の中に浮かんできました。すると、それまでただ生育不十分としか思えなかったその苗が、自分の姿と重なって見えたんです。その言葉の後には、「(父は)もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである」(2節)と続きます。

しっかりと根を張り、順調に育つ苗がある一方で、うまく育たず、捨てられてもおかしくない苗もある。でも、そんなみすぼらしい、不十分な苗だからこそ、農夫はよき実を実らせるために、あの手この手を尽くして育てる。自分も不十分で、人に福音を伝えようと背伸びして、挫折(ざせつ)したような者だけど……。

それは、時間にすればほんの数秒だったかもしれません。でも、久しぶりに自分の心に、熱いものが込み上げてきました。私は夕暮れのビニールハウスの中で、「神様、神様」とつぶやきながら泣いていました。

ありのままの自分を

今まで、祈ってうれしかった経験は何度もありました。なので、悩みを抱える人に、「神様はおられますよ! 大丈夫ですよ!」と励ましたこともあります。それなのに、いざ自分が悩む側になると……自分が発していた言葉がいかに薄っぺらだったか、恥じ入りました。

ビニールハウスで知ったのは、心がいい状態でも、元気を失っている状態でも、神様はそのありのままの自分を手塩にかけて育(はぐく)んでくださるということです。

炭火の道を父や私と共に渡ってくださったキリストは、どんな苦難や矛盾をも恵みに変えてくださる。そういう世界を知ったのは12歳でしたが、それが私の心に深く根づくまでには、ずいぶん時間を要しました。

現在は病とつきあいながらも、再び介護職で働いて、北九州市で幕屋の皆さんとこの信仰で生きる喜びを改めて感じて過ごしています。今、大事にしているのは、私自身が神様の前にありのまま祈り、人の前にもありのまま語って、共に生きることです。そういう中で、一緒に神様の愛を発見していきたいです。


本記事は、月刊誌『生命の光』858号 “Light of Life” に掲載されています。