聖書講話「生ける実在との出会い(前編)」使徒行伝1章1~3節
ー使徒行伝講話の開講に当たってー
今回から使徒行伝の講話を掲載してまいります。「使徒行伝」といっても、日本人にはなじみが薄いかもしれません。けれどもそこには、イエス・キリストの昇天後、弟子たちが聖霊の力を授かった聖霊降臨(ペンテコステ)の出来事、そして、力強く証しする弟子たちによってイエスの福音が全世界に拡がってゆくさまが記されています。
第1回は、使徒行伝のあらましを語っています。(編集部)
使徒行伝は、その前に4つの福音書があり、後にはパウロやその他、使徒たちの手紙が続いております。イエス・キリストの地上の生涯を記した福音書と、弟子たちや使徒たちが残した信仰の勧めや思想などを述べた書簡類との真ん中に位置することになります。これは単に配列上のことだけでなく、内容の点においてそのような意味をもっています。
私たちは、イエス・キリストの尊い生涯を福音書を通して学びます。まことにイエス・キリストは神の子であった、神の御霊の顕現(あらわれ)であったと知り、賛美する心がいっぱいわいてきます。しかし、キリストを賛美するだけで、自分の惨めさ、弱さだけが目につくならば、信仰的に苦しいことです。ところが、使徒行伝を読みますと、信仰に勇気がわきます。ここには、現実に使徒たちを起ち上がらせた秘密が書かれているからです。
今のキリスト教は教理を重んじ、教理的なものとされるローマ人への手紙やコリント人への手紙、ガラテヤ人への手紙などを重要視します。しかし、宗教の議論、理屈をどれだけ学びましても、なかなか力はわいてきません。体験を欠いでいるからです。
この「使徒行伝」は、その名のとおり、使徒たちの行ないを書いたものです。ギリシア語の原文による表題は、「Πραξεις Αποστολων プラクセイス アポストローン」といいます。「Πραξεις プラクセイス」とは、「行為、行動」という意味ですが、最初の表題はこの語だけで、「Αποστολων アポストローン 使徒たちの」という言葉はありませんでした。しかし、後になって「行動録」では題としてわかりにくかったためか、「使徒たちの」という語が付け加えられたと推測されます。アレクサンドリアのクレメンス(2世紀ごろの教父)という人は「行動」という言葉に付け加え、聖霊の行動、すなわち「聖霊の行伝」であると書いております。
いろいろな議論がありますが、私の結論を一口で言うならば、キリストは今も生きつづけて働いておられる、ということです。”生けるキリストの行伝”である、と思う。キリストは十字架上に肉体をくぎ打ちされたもうたけれども、その聖なる霊はなお生きて働きつつありたもう。それを書いたものが「使徒行伝」だと思います。ですから、これを読まれることによって、きっとお互いの信仰を生き生きとしたものにできると信じます。
初代教会の歴史をかいま見る
もう四十数年前のことですが、日本の救世軍(※注)の創立者である山室軍平先生にお会いしたことがあります。その時、私は「何を読んだら私の信仰は進むのでしょうか。また、山室先生は何をご自分の伝道上、信仰生活上の糧としておられますか」というような質問をしましたら、「使徒行伝を読みたまえ。しかし若い青年たちは、使徒行伝といったものを好まないね。議論を好んで、実際を好まない。けれども、これを読むと信仰が血となり肉となる」と言われました。私は今なお、そのことを覚えております。
私たちが理想とし、現実とすべきは使徒行伝の信仰です。原始福音は、使徒行伝を読むことによってほんとうに確かめられ、「そうなんだ。こうでなければならないんだ」とわかります。これは原始キリスト教の歴史を書いたものであるからです。
使徒行伝を重んずると言いますと、インテリの人たちは嘲笑(ちょうしょう)します。具体的なことよりも観念的なものを、何か普遍的な真理のように思うからです。
しかし、聖書は観念的な、空(くう)な理論をもてあそんでいるのではないのです。信仰に生きているとは、実際にどういうことなのか。神が愛であるというのならば、神の愛とはどういうものであるか。初代教会の人々の実際の歩みに即して内容を確かめねば、私たちが勝手に勘違いをして、そうでないものを〝愛〟とか〝信仰〟などと呼ぶ結果になると思います。
こう言うと、また使徒行伝を貶(けな)す人があります。「これはキリスト教会の歴史だろうか。歴史にしては、だいぶ偏っているではないか。使徒たちの行ないというけれど、最初の部分はペテロが主役で、後半はパウロが主役であって、他の使徒たちの名前はほとんど出てこないし、活躍していない」と。
確かに少数の人たちの名が表面に立っています。だが、この使徒行伝がなかったらどうなるか。福音書とパウロ、ペテロらの書簡集だけでしたら、初代教会のようすがサッパリわからなくなります。とにかく歴史というものは、人それぞれの歴史観によっていろいろと書くことのできるものですから、これが全部、初代教会の歴史そのものだったとは言えません。しかし、ある一部をかいま見ることによって全貌をうかがい知ることができます。
旧新約聖書というものは、歴史に根ざした書であり、そこに描かれているのは、実際の地上の社会に起きた宗教現象であります。それを抜きにして、抽象化した理屈を信じることが信仰ではないんです。パウロの手紙に、「神は愛である、義である、救いである」などと書いてあるときに、その言葉の内容は何であるか、その内実を問うことが大切です。それを使徒行伝に照らして、「ああ、こういうことを指しているのか!」と私たちは納得することができます。
(※注)救世軍
プロテスタントの一教派、慈善団体。19世紀に英国のメソジスト教会牧師W・ブースによって設立。軍隊を模した組織が特徴で、社会福祉事業や教育事業、医療事業も進める。日本では年末の募金活動「社会鍋」で知られる。
神の御霊の活動史
それでは、使徒行伝は何を目的としているのか。一言で言うならば、イエス・キリストが地上に亡き後、神はどのようにして人類を救おうとなさり、どのように使徒たちを立ててその御業を進めてゆきたもうたかということを、実際に書いてあるのです。
使徒行伝は最後が尻切(しりき)れトンボになっています。最初にペテロが、その後バルナバなどが登場してきますが、やがてペテロもバルナバも姿を消して、パウロだけとなる。パウロも、最後の章を見るとローマに着いたことはわかるが、その後どうなったのかは書いてありません。しかし、聖書はそれでいいのです。
聖書は”神の御霊が働いた事実”を書くのが主眼でして、だれかの歴史、人間の歴史ではないからです。ペテロが、バルナバが、ヤコブが、またパウロが活躍したということを書くのが目的ではないんです。神の歴史というものは、神の御霊ご自身がいかに働いたかを知れば、それでよい。使徒行伝の見方、読み方がわかれば、歴史として偏っているなどと言うべきでありません。
作者であるルカは、使徒行伝の冒頭と同じくルカ福音書の冒頭においても、「テオピロ閣下よ」という書き出しで始めておりますように、この2つの書はローマ帝国の高位高官だったであろう、テオピロに宛(あ)てて書いたものだということが想像されます。すなわち、ローマ帝国内においてキリスト教徒が無用の迫害と誤解に遭っているが、クリスチャンはローマの法律や制度を無視するものではない、ということを弁護しているのがわかります。
またキリスト教は、ユダヤ人だけの宗教ではない、全人類のための宗教、異邦人のためにも大切な宗教である、ということを説いています。
使徒行伝を読みますと、当時のユダヤ教徒たちが、キリスト教徒をいかに迫害したかが書かれています。現代風に言うならば、今も一般のキリスト教団体、既成の宗教団体が、霊的に生きようとする信仰者をいかに迫害するかがよくわかります。
私はこの二十数年伝道してみまして、使徒行伝をいつも読んでおりましたから、何事かが起こりますと、「ああ、使徒行伝で起きたことが、また私たちの群れの中にも起きてくる。それでこそ本当なんだ。現代にも使徒行伝が繰り返されるんだ」と知りました。
私たちは既成の教会、また無教会のクリスチャンから迫害されてみて、当時のユダヤ教徒から迫害されたクリスチャンの気持ちがよく理解できます。ですから、皆さんが読まれたら、「この使徒行伝こそ私の書である」ときっと言われるに違いありません。同じような不思議なことが、違った形で繰り返されるのを、まざまざとお気づきになると思います。
作者ルカの真情
それともう一つ重要な面は、ルカがパウロのために弁明しているということです。使徒としては後入りの、後輩でありましたパウロ。しかしながら、パウロは大先輩のペテロ以上に、異邦人伝道のために粉骨砕身した模様が、この書の中にありありと書かれています。
ルカは、パウロの第2回伝道旅行の途次、おそらく小アジアからマケドニアに渡る時に、パウロの一行に加わったものと思われます。16章10節から、「わたしたち」という代名詞が使われるようになるのを見てもわかります。
ルカは、身近にパウロの伝道の姿に接しながら、古い使徒たちが新参者が何だといってパウロを貶すのに対して、「パウロこそは、本当の使徒である。事実、このような証しを立てているではないか」と弁護しています。
パウロのために万丈の気焔(きえん)を吐いているルカ。パウロはほんとうによき友人をもったものでした。彼は伝道のために迫害され、何度も笞(むち)打たれて患難に遭い、弱い体はいよいよ傷だらけでしたから、特に医者のルカを身近に必要としたのでしょう。またルカもパウロのそばについて、彼の人となりの素晴らしさを知り、目に見ゆるように書いております。
とにかく使徒行伝を読まれれば、皆さんの信仰がきっと生き生きとして現実のものとなるでしょう。信仰を観念的なものとしなくなります。あの弱かったペテロ、またキリストに反抗したパウロが、何ゆえこのような大変化を遂げたか。何がそうさせたか──それはキリストの御霊の御働きによる。キリストが背後から守護神となって導いたからだということがわかる。わかるにつれて、私たちは勇気をもって進むことができます。
使徒行伝に一貫しているのは、初代教会の人々は多くの困難、迫害、悩みに遭いながらも、信仰の勇気をもってそれらを突破していることです。そのような患難の中にあってもなお、パウロをはじめ原始キリスト教の人々が、いかに濃(こま)やかな愛を抱いておったかがよくわかります。
今のクリスチャンは、キリスト教を信じているといって、何かの「教」を信じている。だが、使徒行伝に見える初代キリスト教徒たちはそういう理屈を信じてはいない、生けるキリストを信じていた、ということです。それでは、1章から読んでゆきます。
キリストの霊が今も導く
テオピロよ、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教えはじめてから、お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じたのち、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした。
使徒行伝1章1~2節
先ほども申したように、テオピロはローマ帝国の偉い役人であったろうと考えられますが、「Θεοφιλος セオフィロス 神の友人、神を愛する者」という意味で、こういう名前の人はたくさんいました。ですから、特定の人物を指して言ったのではないのかもしれません。
「先に第一巻を著し」とあるのは、ルカ福音書を指します。この書の書き出しは使徒行伝とよく似ております。
「わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります」(1章1~4節)
ルカはこの第一巻に、「イエスが行ない、教えられたこと」を、初めから書き出したのです。イエス・キリストがなければ、人類に訪れた福音的宗教は成立しなかったのです。
そして使徒行伝に、「お選びになった使徒たちに、”聖霊によって”命じたのち、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした」とありますように、イエスが地上を去られた後は、イエス・キリストの御霊は聖なる霊として働いた、聖なる霊として命じたのです。
イエス・キリストのもう一つの人格は聖なる霊です。聖とは神的なものという意味です。神の霊です。今、いろいろなことについて私たちを導く霊があるならば、聖なる霊がやって来て教え導くのです。2000年前のイエス・キリストを信ずるのではない。あのイエス・キリストの霊は今も生きて私たちの実生活を導き、私たちに命じたもうのである。このことを知ることが大切です。
イエス・キリストは何ゆえにキリスト(救世主 メシア)であるのか、神の子であるのか。パウロがローマ人への手紙1章で「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである」(3~4節)と言いましたように、イエスが主キリストであり、神の子であるのはなぜかといえば、聖霊によってであります。
私たちも同様に、本当のクリスチャンであるというならば、聖霊が私たちに働きかけてきて、聖霊を宿す人間にならなければならない。聖霊が宿る時、私たちはもう古い人間ではなくて、新しい人間になる。これが福音の要点であります。パウロは言いました、「すべてキリストにある者は新しい被造物である。新しい人類である」(コリント人への第二の手紙5章17節)と。私たちは肉の身をまとっていますが、大事なことは、神の聖なる霊を宿すということです。これが福音の中心であります。「キリストの御霊なき者はクリスチャンではない」と、ローマ人への手紙8章にパウロが言うとおりです。
キリストが聖霊によって命じたもうとき、私たちにも多少とも聖霊に感応する心がないならば、キリストは命じたもうことができません。聖なる神の霊には全く無感動、無感覚では問題になりません。聖霊によってキリストは私たちにいろいろ諭し、導きたもう。
実在の神に出会う信仰
イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、40日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。
使徒行伝1章3節
使徒行伝には、「キリストは十字架にかかって死んだ」とは書いてありません。苦難を受けたけれども、復活して今も生きておられる。霊的に鮮やかに生きているのであって、数々の確かな証拠によって、ご自身を示したもう。生きているご自分を現したもうた。
福音書にも、まずマグダラのマリヤに現れたキリストは、その後、弟子たちに現れた、とあります。エマオという村にエルサレムから下ってゆく途中、2人の弟子と道連れになり語りたもうたが、夕暮れになり一緒に泊まりました。食卓に着いてパンを裂かれた瞬間、「ああ、主イエス・キリストだ」と目が開けた。クレオパともう一人の弟子は、「この方は3日前に死んだはずの主ではないか」といって驚き、エルサレムに引き返した。
さらに、ガリラヤの湖畔で漁をしておったペテロやその他の弟子たちに現れ、ある場合は500人以上の人の前で生きているご自分を示された。多くの人が、イエス・キリストが生きておられることを確証した。
これはパウロでもそうでした。ダマスコヘの途上、天から射(さ)す光まばゆい状況下に、彼はバッタリと打ち倒されました。
「なぜおまえはわたしを迫害するのか」
「あなたは、どなたですか」
「わたしは、おまえが迫害しているナザレのイエス・キリストだ。わたしはおまえを選びの器とするために、このダマスコまでやって来たのだ」
との御声を聞いて、霊なるキリストに出会って、不信なパウロは大使徒となりました。
私は、もし今も生きていましたもうキリストに触れなかったなら、とても伝道者にはならなかっただろうと思います。しかし、ある時は激しく、ある時は弱く、キリストはご自分の生きていましたもうことを、そして私の霊的導き手、贖い主であることを示したまいました。その時、私は「主様、お従いします」と言って服従する人間になりました。それまでは、どうしても信仰が考え事になって、従おうという気がありませんでした。
私たちに必要なのは、「われはそれなり!」と言って来たりたもう方に出会う経験です。この神に出会わなければ、本当の信仰は得られないということです。それまでは、神といっても自分の頭で考えた神にすぎない。
私たちの心に、「われはそれである! 長い間、おまえが渇き求めていたところの者である。なんじを祝する者はわれである」と言って近づきやって来るお方に出会うことによって、真の信仰が始まるのです。(後編に続く)
(1970年)
本記事は、月刊誌『生命の光』860号 “Light of Life” に掲載されています。