ダンスは私の祈り

朝見未来

数年前、俳優の森山未來さんが、コンテンポラリー・ダンス(現代舞踊)をイスラエルのダンスカンパニーで学んで帰国されたことが話題になりました。

三大宗教の聖地として知られるイスラエルは、現代舞踊の分野でも、世界的に高い芸術的評価を得ている国なのです。

そのイスラエルでも有名なダンススクールの1つ「ベルティゴ」で、3カ月でしたが、私はダンスを学ぶ貴重な体験をしました。

イスラエル留学なんて、2年前の私は全く考えもしていなかったことです。それが今は、私の人生にとってかけがえのない、貴重な日々となりました。

始まりは母の夢

3年前(2015年)、埼玉でバレエ教室を開いていた母が、突然白血病で倒れました。それからは大変な治療の日々が始まりました。

母の病状がまだ思わしくなく、放射線などのきつい治療が続いていた時のことです。当時私は東京のあるクラシックバレエ団に所属していて、次の公演の出演は確実だと思っていました。ところが選ばれなかったんです。それは将来への希望を失うほどの挫折でした。

私は病気の母に泣きつきました。母は人工呼吸器をつけていたので、筆談で「いちばん苦しかった時に、ある夢を見た」と教えてくれたのが、私がイスラエルに行っている姿だというのです。そして私に、幕屋のイスラエル留学に行ってほしいという願いを伝えてきました。

私はプロのダンサーを目指して日曜日もレッスンに出ていたので、中学生のころから幕屋の集会には行かなくなっていました。ですから、そんなことはできないと断ったのです。でも、「幕屋の留学生としてイスラエルに行ってほしい」と、重い病気の母が本気で思っていることを感じて、私は受けざるをえませんでした。

そんな私に、幕屋の皆さんが留学に行く心を教え、準備を整えてくださり、2カ月後には、8名の友とイスラエルに向かいました。

イスラエルではキブツ(農業共同体)に住み、労働と語学の学びの毎日です。私は一度ダンスのことは横において、まずは生活を通して信仰の成長を願いました。

イスラエルの太陽は肌に突き刺さり、大地からは熱気がわき上がってきます。自然からも力を感じて、すごくうれしくなりました。

また、イスラエルで学んでいる幕屋の留学生たちと出会った時、精いっぱい生きている姿にエネルギーを感じて、聖地は違う、私もここで学びたいと心定まりました。

キブツで生活しながら、この国で私の魂は逞しく成長させられていきました。

苦難を乗り越える力

1年後、帰国を前に、どうしてもイスラエルでダンスを学びたいという思いがありました。ダンスのための留学ではないと決めて行ったので、悩みながら、何度も先輩たちと話をしました。

先輩からは、「君からダンスを取った時、何が君を支えるんだ」と、課題を突きつけられました。それは私にとって、ダンスとは何かを深く考え、祈る時でした。

新年を迎えた聖会で、進路を示してください、と祈っていると、「聖地で踊ることを通して、見えてくるものがあるはずだ」と神様から背中を押されるのを感じました。その思いを先輩たちにも話して、学校を探しはじめました。

その時はエルサレムに住んでいたので、この町でいちばん有名な、ベルティゴというダンススクールの練習を見学しました。そこでは若い人たちが皆、失敗を恐れずに、必死で激しい練習をしている姿に魅了されました。そして、ここでぜひ学びたいと思いました。

門を叩き、特別にコースの途中からの参加を許されました。言葉も十分でなく、最初は大変でしたが、皆とてもフレンドリーでした。

授業ではイスラエル人の積極性に圧倒されました。何でもすぐに質問するし、やってみる。振りつけがわからなくて、ある子に「教えてくれる?」って言うと、1つ聞いたのに10教えてくれました。

 ある日の授業では、身体障害者の人たちと一緒に踊る機会がありました。車イスの人、義足の人、杖をついている人。若い人からお年寄りまでさまざまです。ただ皆、踊りたい、という熱い思いのある人たちばかりでした。

皆、自分たちの体のことをハンデとは思わず、車イスや杖を自分の体の一部として使いながら、楽しんで踊るのです。

障害で悔しい思いをしたこともあったと思います。でも心から楽しんで踊っている姿を見て、踊りは心の傷もいやし、苦難を乗り越える力を与えてくれるんだと感じました。そして、ダンスは神様から与えられたもの、神様と出会う道具なんだと知りました。

私を神様につなぐ祈り

最終公演でダンスを披露する朝見さん

コースの最後には最終公演があります。クラシックバレエでは、すべて動きが決まっていますが、現代舞踊には即興があります。それは自分の内からわき上がってくるものを表現します。先生からは、独自の表現で踊るようにと言われますが、最初はそれがわからなくて、ずいぶん悩みました。

でもこの留学で、私は何をするにも、祈って力を得てやることを学びました。それで最終公演では祈りながら踊っていると、自分の内からわいてくるものがありました。最後に先生から、「今日はすごくよかったよ」と言っていただいた時はうれしかったですね。

ベルティゴでの学びを通して、ダンスは神様と私をつないでくれる祈りだと感じました。そして、ダンスを通して、もっと神様を近くに感じられる者になりたい、と願いがわきました。

これからは祈りつつ、踊りによって神様の光を表せるようなダンサーを目指していきたいです。


本記事は、月刊誌『生命の光』791号 “Light of Life” に掲載されています。