若人の声「あなたの幸せは何ですか」

藤井 華(はな)

ある時、知人から「あなたは今、幸せですか」と聞かれたことがあります。その時は、すぐには答えられませんでした。

私は、両親がキリストの伝道をしているので、日曜集会には当たり前のように集っていました。でも、小学生の頃から転校が多くて、内心は親に反発していました。神様は人を幸せにするはずなのに、何で私は幸せじゃないのと、引っ越しで友達と別れるたびに下を向いていました。

大学を卒業して、東京の大手の病院で看護師として働きだした私は、親元を離れて一人暮らしを始めました。自由を満喫するはずが、その後は泣きの涙でした。

私たち新人は、「お姉さん」と呼ばれる3年先輩に付ききりで仕事を習うのですが、私には、なんと6年も先輩の看護師が付いてくださり、まさに「大お姉さん」から指導を受けたのです。

職場では、その時にしていることを覚えるのもやっとでした。だから、日頃先輩から言われる、なぜこの薬を投与するのか、術後にはなぜ酸素マスクを着けるのかなど、患者への対応をエビデンス(根拠)を伴って把握することも、当時の私には負担でした。

そのため、仕事が終わって同僚は帰っても、1人、病院付属の図書館に行って専門書を探し出し、夜更けまで勉強です。毎日、泣きながら自転車で帰っていました。

今思うと大事なことを覚える期間だったのですが、先輩のハードルが高く感じられて、私は悩みました。そんな日々は天に祈るしかありません。辛いときに帰るのは神様のもとだ、と思いました。

患者さんの一言

数カ月が経ち、病院の仕事にも慣れ、先輩方の指導の成果も出はじめて、担当する患者さんの人数も増えてきました。「私、ステップアップしてる、人の役に立ってる」と仕事が面白くなり、充実感を覚えはじめていました。

看護師3年目の秋、毎年その時期に翌年の進路調査があるのですが、なぜかその時思いました、「私はこのままでいいのかしら」

別に仕事に不満もなく、人間関係もよくて楽しい職場ですから、幸せといえばそうかもしれませんが、何かが引っかかっていました。

ある時、他の病院に転院される患者さんに、「この病院で、何か辛いことはありませんでしたか」とお聞きしました。胃の手術が辛かったとか、食事ができなかったと言われるのかな、と思ったら、「同じ向きに寝かされていたことがいちばん辛かった」と言われたのです。

それは、毎日接していた私が気づかなければいけないことで、忙しさにかまけて心が行き届いていない仕事ぶりを、ズバリ指摘された気がしました。

その患者さんは、次の病院に移って間もなく亡くなられたと聞きました。その方の、人生最後の日々の苦しみを見過ごしていたのかと思うと、もうお詫びのしようもなく、私は無力感に泣きました。

「わたしが選んだ」

日曜集会は、いつもうなだれて集っていました。でもある時、目をつぶって祈っていると、自分の前に誰かが立ったような気がしました。その途端です、「わたしがおまえを選んだのだ!」と私を指さす手がイメージされたかと思うと、その言葉が強烈に心に入ってきました。これはきっと自分の妄想だと、心の中で何回も否定しました。でも、そのイメージと言葉が迫ってきて、集会が終わっても消えませんでした。

旅立ち

私はいつも、どう生きたらいいか考えていました。親元から離れて自由になったと思うと仕事の難しさに泣き、職場に慣れたかと思うと患者さんの死で落ち込む。

人生って何だろうと思うたびに、少しずつ神様の方に心が向く感じがします。それなら、仕事よりも生き方をハッキリさせたい、そう強く願うようになりました。

そして、思い切って病院を辞めることにしました。神様を知るために、聖書の国イスラエルに留学してみようと思ったのです。

でも、正直言ってずいぶん心は揺れました。仕事を続けていれば、キャリアもアップして幸せな人生を送れるかもしれない。そんな思いもありました。でも、すべて振り切っての出発です。

いちばんの幸せ

留学中に1つ忘れられない体験をしました。それは、1日荒野を歩いてエルサレムに行く旅です。

留学仲間数人と30キロ以上ある道を歩きました。40度を超える灼熱の中、足の皮がむけて痛くなり、来たことを後悔しました。

夕方になって、ようやくエルサレムを見渡す山の上に立った時、それまでの辛かった山坂が自分の人生と重なって感じられました。

「神様、どこにいてもあなたが一緒に歩いてくださったんですね」と、神様を側近くに感じて、嬉しくて感謝の涙が溢れました。何かを学んで、頭で神様がわかったのではなく、体験して知ったことは、私にとって大きなことでした。

帰国して、私は訪問看護の仕事に就きました。大きな病院の看護師時代とは違いますが、今はこの仕事が嬉しいです。

幸せはどこにあるのかいつも不安でしたが、今は、祈って神様の御愛を感じたら、何があっても大丈夫、と嬉しくなります。

人生、よい時も悪い時もあると思うと、神様と一緒に歩くことがいちばん幸せなんだと思います。今、それを信じて生きています。


本記事は、月刊誌『生命の光』795号 “Light of Life” に掲載されています。