私のチャレンジ「大変、でも、私やります!」
東京で日本語教師だった私。今は、広島で眼科医院の検査士をしています。
広島市にある眼科医院で、検査士として働く佐藤嗣実(つぐみ)さん(24歳)は、1年半前、住み慣れた東京の実家を離れ、自らの成長を願って、新たな一歩を踏み出しました。(編集部)
♧ はい、行きたいです
「えっ、広島? 眼科!?」、それは私にとって、思いもよらないことでした。
ある日、お世話になっていたおばさんから、「こんなお話があるんだけれど」と勧められたのが、広島へ行って新しい仕事に就くことでした。
眼科の医院を開業している、広島幕屋の岡野智文先生が、ぜひ幕屋の若い人と一緒に働きたい、と願っておられたのです。
広島には全然縁がないし、岡野先生という方も知らなくて、私は一瞬、戸惑いました。でも、その後すぐに、「はい、行きたいです」と返事をしました。
♧ 自分が変わるしかない
私は以前、東京で日本語教師の仕事をしていました。生徒のほとんどは私よりも年上の、アジアの国々から来ている人たちでした。
徹夜して教材を用意し、授業の準備をしていっても、私が若い女性ということで相手にされず、全く授業を聞いてもらえません。
「私はこんなに頑張っているのに」とたまらなくて、ほんとうに悩みました。
それに、上司はすごく怖い人で、何をするにつけても叱られるのです。それで、心身共に辛い日々がずっと続いていました。
また、家には信仰熱心な両親とおばあちゃんがいますが、私はそんなに信仰で生きたいとは思っていなかったので、家に帰っても何かきつく感じてしまいます。それで、家には帰らず、友達と夜遅くまで遊んだり、隣町の姉の家に泊まり込んだりしていました。
職場でも壁にぶつかり、家にも身の置き場がない。とうとう私は行き詰まってしまったのです。そんな時、ふと心に迫ってきたのが、「これは、自分が変わるしかない。自分が変わらないと、何も変わらない!」という思いでした。
そのことを母に話した時、自分の口から「私、イスラエルの留学に行ってみようと思う」という言葉が出たんです。今振り返ると、これは自分から出た言葉じゃない、神様が言わせてくださった言葉だと思います。その一言に、母はとても驚いていました。
幕屋のイスラエル留学では、信仰の成長を願う若者たちが、旧約聖書の言葉ヘブライ語を学び、イスラエルを建国した人々の逞しい開拓者精神に触れます。それで、日ごろの私の生活を見ていた母は、私がそんなことを言いだすとは思ってもいなかったのです。
留学生を選考する面接試験では、「あなたの留学は、現実からの逃避じゃないですか?」と問われました。確かにそのとおりでした。
実は中学生の時、私はバスケット部のキャプテンでしたが、最後まで部員のみんなをまとめきれませんでした。いつも困難な現実から逃避していたのが私でした。
だから私は、この時をとらえて本気で変わりたい。でなければ、私はこのまま一生変わらない。聖地で私の信仰をもっと強められて、現実にしっかりと向き合える人間になりたい、と願いました。
そして、7人の友と一緒に聖地に送り出していただきました。
♧ ごみ箱のような存在に
イスラエルに行って数カ月後の夏、幕屋の留学生全員が集い、荒野で1泊の聖会がありました。そこでは、みんなで旧約聖書イザヤ書の「主の僕(しもべ)」の姿を学びました。
神様に徹底して仕え、黙ってほふり場に引かれていく羊のように、自らは傷ついても、神様の御旨を行なう生涯を遂げた主の僕。
私はその姿にとても感動して、自分もそのように生きたいという祈りが湧きました。それは、私の留学中に亡くなられた、以前お世話になった婦人のことが心の底にあったからです。
その方は、まだ高校生だった時に、キリストに出会った感激から、「人の悲しみや苦しみを黙って受け止める、ごみ箱のような存在になりたい」と言われたそうです。
私にはそのことが衝撃でした。高校生でそんなことが言えるなんて、どんなに神様に救われた感謝をもって生きておられたのだろうか、と。主の僕の姿と、その婦人の姿が重なって、私の胸に熱く迫ってきました。
主の僕の生き方って、辛そうに見えても、神様にとっては大きな喜びの姿なんだ、と思わされたのです。私も、そのように神様に喜ばれる姿を目指して生きていきたいと、心に秘めて帰国しました。
♧ 辛い気持ちを受け止めて
眼科の仕事は、全くゼロからのスタートでした。私は今、岡野先生のもとで検査士として、視力検査をしたり、眼の神経の写真を撮ったりしています。視力検査は患者さんの気分や体調によって見え方が全く変わってしまうので、なかなか難しいんです。
それで、子供さんには集中力が続くように、また、どなたにも落ち着いた気持ちで検査ができるように、と苦心しています。
岡野先生は、どの患者さんに対しても心を込めて、ていねいに診察されます。「岡野先生と話がしたい」、また「この病院は落ち着くから来るんです」と言う患者さんもたくさんおられます。
先日、原因不明の眼の病気を患っている方が、今のメガネが見えにくいので新しいメガネを作りたい、と言って来られました。
この方はあちこちの病院を転々とされたそうです。そして、よく見えない辛さや苦労、不安な気持ちを話されます。私はその患者さんの語られる話に耳を傾けながら、どうにか少しでもよく見えるようにならないか、と思いました。
それで、何度も何度もレンズを取り替えて検査したのですが、なかなかいい結果が出ません。途中で、「どうせ見えないから……」とあきらめるように言われるのですが、私はこの患者さんの、見えないという苦痛を何とかして和らげられないだろうかと思って、粘り強く検査を続けました。
残念ながら、新しいメガネを作ることはできませんでした。でもその患者さんは、快くそのことを受け止めてくださいました。
いいことばかりじゃなく、うまくいかないこともあります。でもこうやって大変な現実に向き合いながら、もっと心を燃やすんだ、と自分を励ましています。
以前の私を思うと、大変なことから逃げない自分に変わったと感じます。今は、どんなことに対しても、「私やります!」って言えるようになりました。
佐藤嗣実さん
3人姉妹の末っ子。スポーツ大好きで、中学・高校とバスケットボールに熱中。最近、動画作成にもチャレンジしている。広島弁にもやっと慣れました。
本記事は、月刊誌『生命の光』2020年3月号 “Light of Life” に掲載されています。