コラム「あのシクラメンのように」

相澤宏子

「お父さんが危篤だから、すぐに帰ってきて!」

妹からかかってきた突然の電話で、父の命が危ういことを知りました。取る物も取りあえず、急いでアパートの戸締まりをして、幼い息子と一緒に埼玉から実家のある仙台へと向かいました。

私は、意識が朦朧(もうろう)としている父の枕元で、救い主キリストの御名を呼んで祈りました。不思議なことに、死の淵(ふち)にいた父は息を吹き返し、数週間後には退院できるまで回復したのです。

元気になった父を見届けて、アパートに戻りました。部屋に入り明かりをつけると、一鉢の花が私の目に飛び込んできたのです。

その部屋はすべて閉め切っていて、真っ暗なはずでした。ところが、小さく一つだけ開いていた、板戸の節穴から光がさし込み、その光に向かってシクラメンの蕾(つぼみ)の茎が一直線に伸びていたのです。それも何十センチという長さです。それはそれは驚きでした。

暗闇(くらやみ)であっても、命あるものは光を求めて生きている。私たち人間も、天から注がれる光を目指して生きる時に、魂はグングンと息づいていく。

目の前にあるシクラメンが、私にそう教えてくれたようでした。

今年の1月、私は胃がんであることを告げられました。先のことを考えると、不安も感じました。でも昔、目にしたあのシクラメンのことが、急によみがえってきたのです。

入院中、強い痛みに襲われ、もだえ苦しんでいた私に、天からの光がさし込んできました。その光から注がれる神様の御愛とあわれみに、私は一晩じゅう、涙しました。

手術は成功し、体は回復しつつあります。でも体のこと以上に、私の魂は天の光によって息づいている。それが私の生命の源です。

(仙台市在住)


本記事は、月刊誌『生命の光』846号 “Light of Life” に掲載されています。