能登半島地震によせて「喜びの花咲く地に」
伴 響(ばん ひびき)
元日、能登半島を襲った大地震は、甚大な被害をもたらしました。
金沢市に住む伴響さん(32歳)にとって、能登は特別な思い入れがある、かけがえのない場所です。
お宅に伺い、被災地への思いをお聞きしました。(編集部)
――先ほど金沢市内を案内していただいて、この辺りでも多くの被害があったことを知りました。
そうですね。特に隣の内灘町(うちなだまち)辺りは干拓地なので、液状化現象の被害が大きかったんです。地盤が隆起したり家が沈んだりして、避難している方もおられます。
――地震が起きた時、伴さんはどこにおられましたか?
あの日は、駅前の喫茶店でお茶をしていました。突然、激しい揺れが襲ってきたんです。急いで帰ろうとしましたが、大渋滞に巻き込まれて動けません。ようやく家に帰り、能登で大変なことが起きていることを知りました。
見慣れた町々の家が倒れ、道路は寸断され、朝市では大規模な火災が起きている。犠牲者の数は刻一刻と増えつづけています。まさか地元でこんなことが起きるなんて、信じられませんでした。
何よりもショックだったのは、輪島市の亡き祖父母の家が倒壊したことでした。子供のころ、何度も遊びに行った祖父母との思い出の家が崩れている写真を目にして、自分にとって大切なルーツが引き裂かれるような思いでした。
ニュースを見ていると、つらい映像ばかりです。一瞬にして大切な家族や故郷を失った方々の悲しみはどれほどかと思うと……、つらくて、悔しくてたまりません。
一度、メディアから離れ、部屋で一人祈りました。どう祈ればいいのかわかりません。それでも、「神様……」と思いながら手を合わせていると、ふと胸に、生前の祖父の祈りがよみがえってきたんです。
祖父の回心
――伴さんのおじいさんは、どのような方でしたか?
祖父・吉田實(みのる)は戦後、輪島市に移り住みました。30年近く、教会で長老を務めていたのですが、次第に信仰することの喜びを感じられなくなっていました。
そのような時、金沢幕屋の伝道者が訪ねてくださり、1983年の新潟県での聖会に参加しました。
祖父はそこでの祈りの中で聖霊を注がれ、180度変わってしまうんです。「グワーッと祈りが込み上げてきて、祈りたくてしかたがなくなってしまった。うれしくてうれしくて、信仰することがこんなに素晴らしいことなのか、と感じた」と言います。
その後、家で一人祈っていると、キリストがハッキリと頭に按手(あんしゅ)してくださった。家族をたたき起こして、「イエス様がおいでになったぞ、わからんのか! わからんのか!」と叫んでいたそうです。
それ以来、わが家は幕屋の信仰をもつようになりました。輪島の吉田家では集会が始まり、多くの方が心を合わせて共に祈りました。その祈りの中で、私の母も祖父の按手を受けて、回心したんです。
私自身も高校生の時に、祈っていると温かいものに包まれる体験をしました。祈り終わると、ものすごい喜びがわいてきたんです。祖父が出会ったキリストに私も出会うことができた。祖父の信仰が今、私にも受け継がれています。
祖父は、能登をほんとうに愛していました。よく、「能登半島を聖霊半島に」と祈っていました。
それは、キリストの聖霊が注がれると、叫び出さずにはおれないほどの希望と喜びが与えられる、このことを能登の人たちに伝えたいんだ、という願いでした。
祖父は6年前に亡くなり、私は長い間その言葉を忘れていました。でも震災後、たまらない気持ちで祈っていると、その祖父の祈りが胸に迫ってきたんです。
「神様、痛みの中にある能登に、希望の光を照らしてください。聖霊が能登の地を覆って、痛んでいる方の心を慰めてください」と祈りました。
聖書の一句が響いて
――被災地への、今の思いを聞かせてください。
私は県内の書店に書籍を卸す会社に勤めています。今は、能登から避難している子供たちに、教科書などを無償で届けています。
能登の本屋さんは震災でお店が倒れたり、本が水に浸(つ)かったりして、壊滅状態だと聞きました。
残った本屋さんも、「お客さんが来ないなら……」と、廃業を考えている方がたくさんおられます。
今後、被災地の復興にどれほどの時間がかかるかわかりません。また、震災で痛んだ人の心は、外側の復興だけでは、とても慰められないと思うんです。
今、私の心に響いている聖書の一句があります。
荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びて花咲き、さふらんのように、さかんに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う。
イザヤ書35章1~2節
荒涼とした荒野であっても、さふらんの花が咲き、喜びの歌声が響く。これが聖書の信仰です。
私はこのことを信じて、被災地のためにほんとうに祈りたい。
いつか再び、喜びの声が響き、人々の心の内にも復興が成ることを願っています。
翌日、伴さんと一緒に金沢幕屋の日曜集会に参加しました。震災で亡くなった友人の葬儀に参列されたことや、避難している被災者のお世話をされていることなどが口々に語られていました。それを聞いて、私の内にも熱い思いが込み上げてきてなりませんでした。
最後は、被災地のための祈りがその場を覆いました。
本記事は、月刊誌『生命の光』854号 “Light of Life” に掲載されています。