信仰の証し「忘れないでいてくれたお方」

房前義勝

高校2年生の時に幕屋の研修ツアーで、ハワイ諸島の一つ、モロカイ島を訪れました。そこでハンセン病で隔離され希望を失っていた人々の友となり、愛をもって尽くした、ある神父の生涯に感動しました。神父は、皆と同じ病気になることすら神様に祈り、その病にかかって亡くなっていきました。私は、その生き方にあこがれ、大きな感化を受けて帰りました。

価値観が壊された

それがうれしくて、世の中でもっとキリストを表す生き方をしたい、学校の仲間に自分の信仰を表明したいと思いました。私はラグビー部で、レギュラーもしていて、信頼できる仲間たちがたくさんいたんです。

皆に、自分がクリスチャンだとは言っていましたけれど、その時に、「ぼくは幕屋というところに行っていて、その信仰で生きているんだ。キリストのために真剣に生きて、死んでいきたいんだ」という話をしました。そうしたら皆、びっくりしはじめたんです。

私はただ、何も包み隠さずに話したかったんですね。たとえば、幕屋では信仰をもって神様と共に火の道を歩く火渡りがあるとか、冬の冷たい海や川でキリストに叫びながら禊(みそぎ)して祈る、と。

ところが、真剣なグループなんだということを理解してもらえずに、おまえの信仰は怪しい、とレッテルを貼(は)られてしまいました。気が変なように思われてしまって、あいつはちょっとおかしいということになって、それから皆が私を避けだしたんです。

私は、真剣に話したのにわかってもらえなかったことに、とてもショックを受けました。それからは、語れば語るほど誤解されてしまって、ほんとうに信頼していた友人たちの心が離れていってしまったんです。私は強烈に傷つきました。価値観がぶち壊された気がしたんです。信仰のことを語るのをやめてしまったし、自分のバックボーンが何だかわからなくなりました。

あの時、幕屋で神様の前に「こうなってしまって今、とてもつらいんです」と言えばよかったんですけれど、言わずに自分で抱え込んでしまって。次第に、幕屋の集会に行かなくなってしまったんです。やがて、神様なんていないとまで思い詰めていきました。

高校を出て専門学校に通い、そして東京の会社に就職して寮に入りました。先輩たちにかわいがられて、仕事が終わったら毎日、みんなでどんちゃん騒ぎをするのが楽しかったですね。景気もいい時代でしたから、スナックに連れていってもらったり、世の中楽しいなと思って。そんな生活が25歳まで続きました。

でも一通り楽しいことをしてみて、それ以上がないことに気づいたんです。何だか毎日が虚(むな)しくなって、1人になるとすごい孤独感を覚えていました。

生きていても何も面白くない、いっそのこと世界が終わってしまわないかな、なんて思いながらもごまかしていました。でもやがては、生きている意味がない気がすると、周りにも、姉にもつぶやいていました。

姉の心も知らずに

そんなある日、いちばん信頼していた姉が突然、自殺してしまったんです。その時、私は地下の店で飲んでいて、終電がなくなるからと地上に出たら、家族から携帯電話にとんでもない数の着信が来ていました。

4つ違いの姉でした。嫁ぎ先でとても苦労したみたいで、最後は育児ノイローゼになってしまったそうです。嫁いで子供も生まれて順調だとばかり思っていて、姉が悩んでいる気持ちがわからず、心の病を患っていることも全く知らずに、自らのことだけを吐き散らしていた自分が、ほんとうに恥ずかしかったです。

告別式には、幕屋の方がたくさん来て、姉を天に送ろうと、心を込めて祈ってくださいました。その時でした。私は姉の魂をとても近くに感じました。それは姉と2人で話をしている感覚で、最初、姉の魂はまるで暗い海の底にいるようでした。でも1カ所、天から一筋の光が射してきたんです。すると、姉の魂がその光の方に向かってスーッと昇っていくのが見えました。

そうしたら、信仰なんて、と言っていた私の中で、何かが変わったんです。神様なんていないと言っていたのに、おられるんだ! と魂の奥にはっきり知らされました。それまで毎日、真っ暗なやみの中を生きるような気持ちだったのが、姉の死を通して神様が私を捕まえて、信仰の世界に引きずり戻してくださいました。

それからは、世界が空虚に思えていたのが、とても生き生きとして、違うように見えてきました。仕事をしていても、手で押さえていないと賛美歌が口を突いて出てくることもありました。

そんな私の内面の変化を見た父の勧めで、元の生活に戻るのではなく新しい生き方を始めようと、会社を辞めて三重県に移り住み、一歩を踏み出しました。

後ればせながら感謝

造船所で働き、やがて同じ信仰をもつ人と結婚して、家族ともども、神様に恵まれて生きてきました。

しばらく前から、自宅から50キロ離れた桑名市で開かれている、『生命の光』を読む会に通っています。年配のご婦人たちが多い会ですが、信仰の喜びを一緒に伝えられるのがうれしいんですね。会がある週はワクワクしている自分がいるんです。行かせてもらって、いろいろ気づかされ、学んでいます。桑名の読者会で喜びが沸き起こりますように、と祈っています。

最近、幕屋のある方が、「いちばんつらい時、神様は君を背負って歩いていてくださったんだ。君が高校生の時に証しをしようと思ったことを、神様は忘れておられない」と言ってくださいました。それを聞いて、ああ、あの時もこの時も、私を背負ってくださった方がいたんだと、後ればせながら感謝しました。

以前の私のように行き詰まっている人に、私にしかできない寄り添い方が、証しの仕方があるんじゃないかと思っています。


本記事は、月刊誌『生命の光』860号 “Light of Life” に掲載されています。

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