私のチャレンジ「屋久島で、神様を近くに」

平尾 弥昂武(やこぶ)33歳
屋久島のお茶園で働く平尾さん。茶畑の剪定(せんてい)、収穫、製造と大忙しです。大阪からやって来て7年。今では工場長を任されるほど欠かせない存在になっています。お話を伺いました。(編集部)
海と山に囲まれた「深山園(みやまえん)」の茶畑では、毎年春になると、一番茶の収穫が始まります。
摘まれた茶葉は工場に運んで、蒸し器に入れて蒸気を当てます。お茶の発酵を抑えて、赤くならないようにするんです。その後、熱風を当てながらお茶を揉(も)んで、形を整えながら乾燥させていきます。
茶葉の品種や状態、機械の温度、時間によって色や味が変わるので、そこが難しくも面白いところです。きれいな緑色にしつつ美味(おい)しい味を出すにはどうすればいいのか、よりよいお茶を作るため、記録を取りながら試行錯誤の毎日です。
うちは無農薬・無化学肥料にこだわっているので、その分、畑に雑草が生えたり、虫に喰(く)われたりして大変です。失敗する時もあるけれど、できたお茶を飲んだお客さんから「美味しかった」と言われると、やっぱりうれしいですね。
地元の方とは皆さん顔見知りで、近所のおじさんは海で獲(と)ってきたエビやアワビをよく持ってきてくれるんです。自然だけではなくて、人と人とのつながりも屋久島の魅力だな、と思います。
不器用だった自分
まさか自分がここでお茶作りをするようになるとは、以前は思ってもみませんでした。
私は子供と接するのが好きで、高校卒業後は保育士を目指して、幼児教育の大学に通っていました。でも、勉強が苦手で授業についていけません。保育士になるには成績が足りず、2回も留年しましたが、結局は退学してしまいました。「何をやってもダメだな……」って、ふがいなかったですね。
それからはパチンコにハマって、多い日は何万円もつぎ込んでいました。勝てば、少しはつらい現実を忘れられる。そうやって、楽なほうに逃げていたんです。
そんな時、幕屋の方が経営する「深山園」がお茶畑の働き手を探している、という話を聞きました。父から1カ月でも屋久島に行かないかと勧められて、断る理由もないので、行くことにしました。
屋久島の方々は喜んで迎えてくださり、「ずっとここで働いたらいいよ」と言ってくださいました。でも大阪で育った私には、屋久島での生活は不便に思えて、観光にはいいけど住むのはちょっと……、という感じでしたね。
それに、皆さんは幕屋の信仰をもっていて、祈りながら働いています。でも、私は幕屋で育ったけれど、祈ったって人生うまくいかない、信仰しても意味がないと思っていたんです。ですから、ここは自分のいる場所じゃないと思って、大阪に帰りました。
祈りが噴き出して
それからも、なかなか仕事は決まりませんでした。幕屋の方が受け入れてくださり、下宿しながら就活をしていましたが、周囲からの期待をプレッシャーに感じて、黙って実家に逃げ帰ってしまったこともあります。多くの方に迷惑をかけ、目標を見失って、どうしようもない時期を通りました。
そんなころ、幕屋の聖会がありました。その中の青年たちの会で、私は行き詰まった現状、たまらない思いを、赤裸々に話しました。
すると、同世代の友人たちが私の肩や背中に手を按(お)いて、私のために祈ってくれました。それまで、真剣に祈ったことはほとんどありませんでした。でも、自分の中からグワーッと祈りが噴き出してきたんです。「今のままの自分ではたまりません。神様、やって来てください」、そう必死に祈っていると、心に何か熱いものが流れてくるのを感じました。すると、内側から喜びがわいてきたんですね。
聖会が終わって、会場に深山園の方がおられるのに気づきました。胸の奥から熱い思いがあふれてきて、「深山園で働かせてください!」と、その場でお願いしちゃったんです。自分でも驚きました。
それからずっと、深山園でお世話になっています。
もう、負けたくない!
屋久島に来て半年もしないころ、堆肥用(たいひよう)カッターに手を巻き込まれて、指を3本切断しかけてしまいました。すぐに手術しましたが、ほとんど指を動かせませんでした。
仕事もできなくなり、大阪に帰ろうかと思いました。でもその時にわいてきたのは、「もう、負けたくない!」という思いでした。
神様、もう一度立ち上がらせてください、どうか指を治してください、と病室で毎朝祈りました。
深山園の皆さんも、私のために祈ってくださいました。すると、リハビリを続けながらだんだんと指が動くようになり、今では生活に支障がないほどに回復しました。
深山園には「不適者生存」という言葉が掲げられています。どうしようもなかったような自分をも、キリストの神様は愛して、生かしてくださっている。こっちだよって道を示してくださる……。屋久島に来て、以前より神様を近くに感じるんです。
ここには、各地から若い人たちが手伝いにやって来ます。中には、以前の私のように、進路に行き詰まっている人や、長く引きこもっていた人もいます。
話しかけてもうつむいていたり、部屋にこもってしまったり、どう接すればいいか戸惑う時もあります。でも、ぽつりぽつりと自分のことを話してくれるんです。
私が何か言葉をかけられるわけではありませんが、一緒に祈り、働くうちに、表情が明るくなって、最後には「また来たいです」と、喜んで帰っていくんですね。受験に失敗して落ち込んでいた子も、「通信制大学に合格しました」と連絡をくれて、うれしかったです。
この屋久島で変わっていく若い人たちを見ていると、私ももっと成長していきたいです。

本記事は、月刊誌『生命の光』864号 “Light of Life” に掲載されています。