信仰の証し「手紙の2行の言葉」
市原あゆみ
先日のこと、起こされてハッ! と目が覚めた時、私は夢の中で読んだ、母からの手紙の2行の言葉を、はっきりと覚えていました。
「あーっ、お母さん、天国にいるんだ! わあー、よかったね!」。私は叫びたいほどうれしかったです。
私が熊本市で看護師として働きはじめて3年目の時、救護係として付き添いで中高生の集会に出てください、と頼まれて、幕屋の聖会に参加しました。
私も小学生までは、熊本の阿蘇郡にある南小国(みなみおぐに)で、母に連れられて幕屋の家庭集会に行っていたんです。でも、中学で厳しい部活に入ると集会に行けなくて、それから足が遠のいていました。
なので、自分は付き添いといっても何もできないな、と思っていました。でも、中高生と一緒に真剣に祈って、会が終わったら、「ああ神様、あなたの御愛をもっともっと流せる者になりたいです」という思いが、自分の中に満ち満ちていたんです。
それは、ずっとあこがれていた青年海外協力隊に、いよいよ申し込もうとしていた時でした。でも、聖会でわいてきた私の思いを知った方の勧めもあって、看護師はいったん辞めて、信仰を学ぶために東京のキリスト聖書塾のそばに行くことになりました。
飛び込むようにして行ってみて、神様を求めている人たちと信仰の話ができ、一緒に生活することができてうれしいな、と思いました。
小さき弱き者と祈ることを
母も幕屋の信仰をもっていました。でも、東京というと娘が手の届かない所に行ってしまうようで、戸惑ってか、「早く帰っておいで」とよく連絡してきました。私も、母の声に後ろ髪を引かれるような思いがありました。
そんな私の魂がキリストにしっかり結びつくように、多くの方が心にかけてくださいました。そして私の中に、神様の世界をもっと知りたいという思いがわいてきて、聖書の国イスラエルに行ったんです。
強烈で衝撃的な神様との出会いを期待していましたが、そういう体験はできなくて、少し残念でした。でも後で思えば、あれは神様の私への御声だったんだ、ということがあるんです。
「小さき弱き者と祈ることを喜びとせよ」と、耳じゃなくて、おなかの中に響いてきたことが。
2011年に、幕屋の方との結婚のお話を頂いて、大阪の主人のもとに嫁ぎました。式では、母は泣いて泣いていました。この信仰が私に嗣がれていくことを喜んでくれた涙と共に、寂しさの涙でもあったように思います。
どうしてこうなったんだろう……
その半年後に、母が自ら命を絶ったという、突然の連絡がありました。一体何が起こったのかわからなくて、私は実家に帰る新幹線の中で、ずっと泣いていました。熊本の幕屋の方々が駆けつけて、心を込めて賛美歌をうたい、母のために祈ってくださったことを覚えています。
母は、実の母親や同居していた舅(しゅうと)が続けて亡くなった後、心の調子を崩していました。そんな時の出来事でしたから、人の何倍も働く母は2人の介護で気持ちも体もいっぱいになっていたし、ぽっかり心に穴が開いたのかな、と思ったり。でも、推測でしかありません。
私がああしていればよかったのに、という思いになることもありました。母は神様を求めて一生懸命に祈っていたのに、どうしてこうなったんだろう、と思う日々でした。
後で、病気でお母さんを亡くされた方から、「時がたてば家族とも笑って話せるようになったよ」とお聞きしました。でも、父も妹、弟も、私たち家族は悲しみが深すぎて、まだ振り返れない。何とか、ひたすら、必死で前に進んできた感じがします。
つらい時でした。でも今思うと、家庭集会にも行く気になれない時に、私に声をかけてくださった方など、神様が一人ひとりを地上天使のように遣わしてくださっていたんだなって。思い出したらすごくつらいんですけれど、あのころの時間がとてもキラキラしているんです。
2~3年たった時、ある方が「あなたのお母さんは、すぐ天に行かれたかはわからない。時間はかかると思うけれど、あゆみさん、あなたは祈りつづけるのよ」と言われました。
この間、主人にそのことを話したら、「あの時は、そんなしんどいこと、苦しんでる家内に言わんでほしいと思った」と言っていました。主人は私のことをほんとうに心配して、祈ってくれていましたから。
その時は、私自身は祈ろうと思ってもなかなか祈れないし、自分の神様はどこにいるんだろうか、という心境でした。でも、「祈りつづけるのよ」という言葉が私の道しるべで、それを書き留めて、ずっと祈りつづけてきました。
キラキラした白い便せんに
5年前に、主人の転勤で東京に来ました。
去年の10月には、小学3年生になる長女が写った写真を『生命の光』誌の表紙にしてくださって、家族みんな、うれしかったです。実家に送って、母の遺影の前に置いてもらいました。私は、母がきっと喜んでくれているな、と思っていました。
するとこの間、とてもありありとした夢を見たんです。夢の中で私に、母からの手紙が届きました。それは、キラキラした白い便せんに2行だけ、こう書いてありました。
「お母さんがこうして天国で喜んでいるのは、主にある喜びの中にあるからだと確信しています」
それを読んだ時にちょうど目が覚めてしまったのですが、あっ、母は天国にいるんだ! と私は確信することができたのです。
そして、「神様、ありがとうございます。救ってくださいましたね」と感謝で感謝で。
長女と幼稚園児の次女に、そのことを話したら、「お母さん、やばっ! それってすごくない!?」と、純粋に大喜びしてくれて、そうしたらうれしさが倍増しました。
手島郁郎先生が、天界では懸命にメッセージを送っているのに、地上の人間がそれを悟らないので、もどかしがっている、ということを言っておられます。
「小さき弱き者と祈ることを喜びとせよ」という与えられたメッセージで、神様はどういう願いを私にかけてくださっているのかなと思っています。
【編集部より】 お話を聞きながら、「祈りつづけるのよ」という言葉を道しるべにしてお母さんのために祈ってきたこと自体が、市原さん自身の信仰を深めたのだ、と思いました。
そして、今も私たちに送られてきている天からのメッセージを悟る秘訣(ひけつ)もきっと、その一点にあるのでしょう。
本記事は、月刊誌『生命の光』852号 “Light of Life” に掲載されています。