信仰の友を訪ねて「煙突から見る景色」
井手名誉(なほむ)
東日本大震災で、甚大な被害を受けた福島県。今も、福島第一原子力発電所の周辺では、放射能に汚染されたがれきの処理が続いています。震災から10年にわたって、復興のための作業に携わってこられた、井手名誉さんにお話を伺いました。(編集部)
主人公が煙突に登って、今まで見たことがなかった景色や新しい自分を発見する絵本が近ごろ、話題になりました。私は少しだけ、主人公の気持ちがわかります。
私は環境調査と分析を専門とした会社で、技術者として働いています。ごみ焼却場の煙突に登って煙を採取し、アスベストやダイオキシンなどの有害物質が人に害を及ぼす数値となっていないか、調査しています。
高所で高温の、危険を伴う現場ですが、煙突に登って見る眺めは特別です。四季折々の景色、地上では感じることができない風を受けていると、日本はほんとうに美しい、この国に生まれてよかったと実感します。
月曜日は別人
私は学生時代、北海道大学の大学院でアサリの研究をしていて、人よりも生き物を相手にしているほうが性に合っていました。でも研究者への道に挫折(ざせつ)し、ともかく仕事をしなくてはと就職したのが、今の会社です。全く畑違いの職種でしたから、入社したころはとても苦労しました。失敗の連続で、何度も得意先へ頭を下げに行きました。上司からも、「君はこの仕事に向いていないよ。違う道を探したほうがいいんじゃないか」と言われる始末でした。
「自分には向いていないかも……、もう続けられないな……」と、ふがいない自分の姿に涙があふれてきます。そうして、うつむきながら幕屋の日曜集会に参加するのですが、「キリストの神様」と手を合わせると、だんだんと体が熱くなってくるんです。
そして、何があっても神様は私と一緒にいてくださること、私を愛してくださることがわかって、悔し涙が感謝の涙に変わるのです。一度だけそんなことがあったのではなく、毎週この体験が続きました。
ですから、上司からは、「先週はダメだったのに、井手は月曜日になるとリセットされて、別人になって帰ってくるんだよな」と言われていました。
私にとってキリストに向かって祈ることは、心が前向きになって元気になる、というだけではありません。それがあるから、現状がどうであれ、キリストに信頼して生きていけるのです。
それは、入社して20年がたった今も変わりません。
10年前のあの日
東日本大震災が起きた10年前、私は仙台支社に勤めていて、南三陸町など、海岸地域のごみ処理場の調査を担当していました。3月11日は仕事の研修で盛岡にいました。14時46分、突然強い揺れを感じて、大きな地震が発生したことがわかりました。
すぐに自宅へと向かいましたが、信号機は停電で消えていました。家族とも連絡がつきません。仙台に着いたのは夜遅くで、家にはだれもいませんでした。
情報が何もなく、家族の安否もわからない不安な夜を、「神様、守ってください」と祈りながら車中で過ごしました。翌朝になって、津波による被害の大きさに目を疑いました。
近くの学校の体育館に住民が避難していることを知って行ってみると、妻や娘たちがいました。家族と再会した時のほっとした気持ちは、今も忘れません。
震災特別チーム
私は震災前から、環境調査のため、福島第一原発近くの焼却場へ何度も通っていましたが、震災後に海岸沿いに行った時、茫然(ぼうぜん)としました。人がいない。莫大な量のがれき。見慣れた景色の変わり果てた姿に足がすくみ、言葉を失いました。
もう一度、ここに人が帰ってこられるのか……。悲しみなのか、絶望なのか、怒りなのか、さまざまな感情が私の内を駆け巡って、「ああ、神様……」と呟(つぶや)いたとたんに、涙が流れて止まりませんでした。
その後、がれき処理のため、海岸沿いに多くの仮設焼却炉が建設されることになりました。私の会社には、建設場所を決定するための事前調査が依頼されました。がれき量の見積もりと、放射線濃度の調査です。
被災地域があまりに広かったため通常業務の人数では足りず、各地の事業所から人を集めて福島の事業所に「震災特別チーム」を作ることになりました。
そして私にも、福島事業所へ転勤の辞令が出ました。私は「福島」という特別な地への異動に当たり、復興のために祈り、精いっぱい働こうと誓いました。
被災した友
私が仕事でよく通っていた福島の沿岸部に水産試験場があり、学生時代からの友人が勤めていました。
震災後、無事を知らせる連絡をもらった時は、よかったと安心しました。ですが、友人が働いていた水産試験場がある地域は、立ち入り禁止区域となりました。それで彼は、別の場所にある農業試験場へ移ることになりました。
その時に一度、2人で会いました。震災で生活や将来への展望が一変してしまった彼が、私に「この先、どうなっていくのだろうか」と呟きました。
その呟きは、私の胸に残りました。そして、彼だけでない、多くの人たちの心の痛みや涙が、突き刺すように私の心に迫ってきました。
現状はすぐには変わらないかもしれないけれど、私を今日まで励ましつづけてくださるキリストが、慰め、必ず希望を与えてくださる。私はこの痛んでいる友や多くの人たちを思いながら、復興のために働いています。
天に近い場所で
汚染されたがれきは、まず除染作業が必要です。そこから分別し焼却するのですが、帰還困難区域では作業がなかなか進みませんでした。あの震災から10年がたった今、私が計測を担当している仮設焼却炉は、最後の1つとなりました。
がれき処理が終われば、帰宅可能な地域と認定されます。でも、それで人が帰ってくるのかといえば、簡単にはいきません。まだまだ課題は山積みですし、何より人々の痛んだ心の修復なしに、復興はありません。
私の役目は、皆さんが日常を取り戻すための材料を集めることです。地道な作業ですが、これは震災を体験し、生かされた私の使命だと思っています。
今日も、地上より少しだけ空に近い煙突の上で、心を天に向けます。絶望と見える現状でも、その先にはすべてを知り、慰めてくださるキリストがおられることを信じて。
震災から時計が止まったままのような所も多くある、原発事故の被災地。復興には、まだ気が遠くなるほどの時間がかかるのではないかと、人の目には映ります。でも、煙突の上から見る景色が地上で見る景色とは違うように、全世界を統べ治め、修復してやまない神様の御手が、祈りつつ復興作業に当たる井手さんたちを通して、かの地に働きつつあることを知りました。
本記事は、月刊誌『生命の光』825号 “Light of Life” に掲載されています。