信仰の証し「私はイスラエル人? 日本人?」

―悩んだ帰国子女が母親になって―

角 誉史子(よしこ)

高校生のころ、帰国子女の私は、「何で私は日本人なんだろう?」という疑問がわいてたまらず悩みました。日本人に生まれたくなかったのにという、どうしようもない反抗心が親に対してわいてきたんです。自分の存在意義がわからなくて、自分でもどうしていいかわからない時期を過ごしていました。

私は幕屋の信仰をもつ両親のもと、父の仕事の関係で、イスラエルで生まれました。父はかの地で、旅行業に従事していました。

私は現地の幼稚園や小学校に通っていたので、外ではイスラエルの国語であるヘブライ語を話し、家の中では日本語を話す生活を、ごく当たり前のようにして育ちました。

イスラエル人の友達はたくさんいて、学校も楽しかったし、誕生日会に家に招いたり、招かれたりして遊んでいました。

今でもSNSで連絡を取り合っている友人たちもいます。

ショックを受けた学校生活

やがて小学5年生の2学期の時に、家族で東京に帰ってきました。私は両親の国である日本に帰ること、また日本人の先生から学べることを、すごく楽しみにしていました。ただ、実際は知らない漢字も多かったので、学力的には3年生くらいのレベルしかありませんでした。

クラスで、ある子が「夏休みに北海道に行ってきたの」と話して皆が「わあ、いいな!」と言っても、私は北海道が何だかわからなくて、皆の会話についていけません。4年生で習う日本地図を私は学んでいなかったので、「ああ、皆がわかっていることが私はわかっていないんだ」ということを知りました。そんなことがいろんな場面でありました。

ある時、女子のグループで話をしていて、次に別のグループに行って話をしてからまた元のグループに戻ると、「私たちと話したいなら、あっちには行かないで」と言われました。また、さっきまで皆でニコニコ話していた子が、ある子がいなくなると突然その子の悪口を言いだすとか。

そういった人間関係はイスラエルでは経験したことがなかったので、私には大きなショックでした。ああ、こんなふうに自分も言われているのかな、と。

自由な空気のイスラエルで育った私にとって日本の社会は、食品工場のベルトコンベアでご飯が流れてきて、ガシャン、ガシャンと同じ三角のおにぎり型にはめられていく、そんな感じがして。私には型にはまった日本の生き方が、きつくて苦しかったんです。

それで「私はどうして日本人に生まれてしまったの。きっと神様の小さな間違いで、イスラエル人に生まれるはずの私が、日本人に生まれてしまった。私はこんなにイスラエルが好きなのに、イスラエル人じゃないのはおかしい」と思って、そのころの日記にヘブライ語で  「 !ריק(レイク 空虚だ!)」  と殴り書きしていました。

私の横に神様が

そのころ、幕屋では若者の集会が毎年、日本精神に深く根ざした土地で開かれていました。たとえば萩(はぎ)では吉田松陰、会津では日新館や白虎隊(びゃっこたい)、また鹿児島では特攻隊に触れることなどを通し、日本人のもっている精神性の素晴らしさを学んできました。

でも、その尊さはよくわかってもそうはなれない現実の自分とのギャップがあって、逃げ出したい気持ちでいました。そんな私にも、大学生の時に奈良で行なわれた集会で転機が訪れたのです。

その集会で祈っていた時です。突然、私は強い光に包まれました。すると、涙があふれてきてやまず、私の横に神様が来て座ってくださっている感覚がしたんです。

その時、「ああ、私はキリストに愛されている」と強く感じました。すると、「もう日本人とか、イスラエル人というより、私は神様の子なんだ」と思わされたんです。そして、私が今まで悩んでいたことなんて大したことじゃないと、大きく心が変わりました。

同時に、今までのことが走馬灯のように思い出されて、「ああ、あの時も、この時も、神様は私の傍らにいてくださったんだ」ということがわかったら、感謝がわき上がってきてなりませんでした。

この体験は、今までの私の悩みを越えることができた、大きな転換の時でした。それ以来、日本人としての自分を素直に受け入れられるようになりました。

親子で語り合って

やがて私は社会人となり、その後、結婚し、今では4人の子供の母親となりました。

5年ほど前から私のいる名古屋幕屋の先輩が、数人の若い婦人のために、日本の歴史を学ぶ集まりを始めてくださいました。すると、中高生時代に幕屋で教わったことも思い出され、日本の歴史の素晴らしさ、日本人の霊性の尊さに目覚めてきて、心が燃えはじめたんです。そして、仕事から帰ってきた主人に向かって、毎回学んだことを熱く語っていました。

そんなある日、今年中学生になった長男が学校から帰ってくると、「お母さん、日本は戦争をしかけたから悪かったんだね。日本が悪かったから原子爆弾を落とされたんだね」と、習ってきたことを話すのです。

それで、「ちょっと待って。だれも戦争はしたくない、日本もそうだったのよ。でもアジアの多くの国々が欧米の植民地とされた中で、日本は経済的にも追い込まれ、戦争をせざるをえない状況になってしまったの。確かに日本の過ちもあるけれど、すべてが悪かったわけではないの」と、当時の状況から話しました。

またある時は「お母さん、昔、人間は猿だったんだね」と進化論を習ってきた話をします。「そうかな、お母さんはすべてがそうだとは思わない。人間は神様が創(つく)ってくださった存在だと思うよ」と。

そんな親子のやり取りを、毎日のように繰り返しています。まず親である私が、神の子であることの自覚と、また日本人であることの誇りをもって生きていないといけないと感じる日々です。

また、私はイスラエルで育ったことも、すごくよかったと思っています。それは、イスラエルは自分の国の歴史教育がとても充実していて、それを体験したからです。

若者に知ってほしいこと

イスラエル民族の生活の根底にある「聖書」は、小学1年生から習いはじめます。また、13歳で迎える「バルミツバ」という成人式を通して、聖書と歴史、先祖と自分のつながりを学びます。

そして、毎年迎える聖書に根ざしたお祭りについては、幼稚園の時から繰り返し教わり、自分も民族の歴史につながれている一員だという連帯の強さを感じるんですね。

そのように、日本の子供たちにも正しく歴史を学び、自分の国に誇りをもち、明るく、たくましく育ってほしいと思います。

そして何より、若者たちが自分の神様に出会ってほしい。祖父母や親の神様ではなく、一人ひとりが直接、神の子だと知ってほしいと願っています。

私自身が若き日に体験させていただいたのは、どんな悩みをも越えることができる、天からの生命を与えてくださった神様がいることの発見でした。

苦しみ泣いている者にも、すぐ傍らにまで降りて、やって来てくださる神様がいる。それがどんなにうれしくありがたいことか。これからの時代を担っていく子供たちにも、ぜひ知ってほしいと思い、日々祈っています。


本記事は、月刊誌『生命の光』850号 “Light of Life” に掲載されています。

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