希望のオリーブ
加藤 修
すみい
加藤修 震災の翌日、町の全域に避難指示が出て、私たちは取る物も取りあえず、仙台の娘の所に行きました。その次の日が日曜日で、仙台幕屋に行ったら、少数でしたが祈り会をすることができたんです。
すみい そこに座った時、信仰の友と一緒に「神様」と祈れるということは、なんと幸いかと思いました。
3カ月して、町が仕立てたバスで浪江に来た時には、酪農家の牛が死んでいたり、歩き回ったりしていました。すごくショックで、死んだ町だと、私はほんとうに思いました。
早々と避難先に住民票や、お墓まで移した方もおられます。町に戻らないと決めた方も多いです。
修 被災している人は、顔では元気そうにしていても、かなりなダメージを受けていますよ。それに、6年もたって、除染が終わったから土地を返しますよ、帰りますか、どうしますか、農業を続けますか、と突きつけられるわけです。それぞれの家族の中でも、考えは1つではない。
すみい 浪江は私の故郷なのですが、仙台に実家がある主人から、「浪江に帰ろう」と言ってくれました。
いと小さき者の取り組みが
すみい 土地を返すと言われて、何をしようかという時、隣の県に住む友人のお見舞いに行ったら突然、「オリーブの苗があるけれど、植えてみない?」と言われたのです。「あ、それはいい。植えよう!」。
修 ノアの箱舟の物語で、大洪水の後、ノアが箱舟から鳩を飛ばすと、オリーブの若葉をくわえて帰ってきた。ノアはそれを見て、水が引いたことを知ります。それからすべての生き物が再び地に増えていくのです。オリーブは、大災害の後の希望を象徴しています。
すみい 震災で、これからこうしようと思っていたものがスパッとなくなってしまって、ほんとうにショックで、先が見えない状態だったんです。
でも、もって行き場がないですね。仙台にいたら普通に生活していて、だれにもそういう話はしないし。
それが、オリーブを植えて、「やろう」という気になって、今は夢がわいてきて胸がいっぱいです。今回、もっと実がなればよかったんですけどね。
修 まあ、それでもいい。こういう困難な状況、実はちょっとしかならなくても、かけてみたいんです。
ぼくらの、いと小さき者の取り組みが、この浪江町の、また日本の復興の一部になっていくだろう、と。
いろいろ困難なこともあって、自分の萎(な)えた心だと、やめよう、となるけれど、祈っていると突き上げてくるものというか、押し上げるものがやって来るから、そうならないんです。
復興のシンボルとして完成した「道の駅」に、この地区の皆でオリーブを植えることに決まっています。浪江にオリーブなんてこれまでなかったことだけれど、皆の希望になれば。また、人生、不如意があった人が、オリーブや私たちの姿から希望を感じてくれたら。
すみい 10年って、まだまだだなって。私は10年といっても、ただの通過点としか思っていないです。
本記事は、月刊誌『生命の光』817号 “Light of Life” に掲載されています。