信仰の証し「自分のシナリオでなく」
川島啓示
私が小学校を卒業した翌朝、母が自ら命を絶ちました。家に電話はなく、父に公衆電話で警察を呼ぶように言われ、外に出ました。私は、もちろん悲しいんだけれど、春の緑の中を歩きながら、これから大人として生きていかなければ、と思ったことを覚えています。
お葬式で幕屋の方が、賛美歌をうたってくれました。
うるわしの白百合(しらゆり) ささやきぬ昔を
イエスきみの墓より いでましし昔を
母の愛唱歌だそうです。確かに母は、花が好きでした。その時の賛美歌は忘れられません。私はそれから、父に連れられて幕屋の集会に行くようになりました。
手島郁郎先生が聖書を講じておられました。身内を亡くしている私は、人間は死んだらどうなるのか、どこから来てどこに行くのか、その答えを手島先生はもっているんじゃないか、という気がしました。
また、同じ世代の友達ができて、楽しかったです。
信仰に向いていない?
幕屋発祥の地・熊本に行った時、「つらいことがあったら、初期の伝道者だったある方のお墓に手を置いて祈ると、こたえてくれるんだよ。うそだと思うんだったら、今から祈ってみましょう」と言われました。本当かなと思いながら、会ったこともないその方のお墓に手を置いて祈ったら、なぜか滂沱(ぼうだ)と涙が流れてきました。
亡くなった方が、天で執り成してくださる。
母はどこに行ったんだろう、と考えてばかりいた私にとって、母も天で執り成してくれているのかな、という思いにさせられた体験でした。
それなのに、私は次第に幕屋に行かなくなりました。
一つには、幕屋の友達は祈ると涙を流して、熱く感動しています。でも祈ってもそこまでではない自分を見ると、信仰に向いていない人間なんじゃないかという、コンプレックスのような気持ちがあったのです。
もう一つには、好きな映画三昧(ざんまい)で生きていきたいと思ったことがあります。小学生のころから映画監督を夢みて、大学生になると年間100本もの映画を観ては詳細に観賞ノートを取るという生活に没頭しました。
卒業し会社勤めをしながらも、映画監督の夢に向かってシナリオ学校に通い、毎週の課題で書くシナリオに自分で感動して泣いていました。また、いい評価を受けて人脈もでき、その関係の仕事もいくつかもらいました。ただ自分では、36歳になったらデビューするんだと決めていました。私は昭和36年3月6日生まれで、36という数字が好きでした。それが、自分の人生に描いていた私のシナリオでした。
天からの干渉が
やがて祖母が亡くなった時、形見を選べと言われて、私は書棚にあった本を手にしました。それが手島郁郎先生の『マタイ伝講話』でした。しばらくは置きっぱなしでしたが、何かのきっかけで読みはじめたところ、止まらなくなるほど、すっかり没入してしまいました。
それから、『生命の光』も偶然手にして読むようになりました。学生のころ、親から渡されて読んでいた時と違って、とても心に沁(し)みるのです。
ある朝、早く目が覚めると「祈れ、祈れ」という声がします。祈れと言われても、ずっと祈っていないし、祈り方もわからないので、また寝ました。でも数日後、寝ていると「祈れ、祈れ」と迫ってくる。布団の上に座り、手を合わせて祈ろうとしましたが、何をどう祈っていいかわかりません。それで「祈ることを教えてください」と祈ったら、スーッと平安になったのです。
今思うとそのころずっと、天からの干渉があったのかもしれません。何度も似通った夢を見ました。「集会ではないから、幕屋においでよ」と声をかけられて行くと、熱心に祈る集会で、逃げ出したいなと思う。最後に見たのは、両脇(りょうわき)に伝道者の先生が座って逃げるに逃げられない、でもそれは祈る集会でなく斬新(ざんしん)な映画を観る場で、これはいいなと思う、という夢でした。
その直後ほんとうに、「集会ではないから、今度の幕屋の集まりにおいでよ」と、以前お世話になった方から連絡がありました。ためらいながらも行ってみると、たまたま伝道者の先生が私の両脇に座られたのです。あっ、夢のとおりだ、と思いましたが、始まったのは映画ではなく、熱心に祈る集会でした。
でも賛美歌をうたうと、どの歌も昔からよく知っているのに、今日初めて聞くような新鮮さで私の心を揺さぶるのです。そうしたら、涙が出て涙が出て。
信仰の証しや聖書の話を聞き、そして手を合わせて祈ると、自分の中から異言(いげん)がワーッとわいてきました。それまで全然、そういう経験はなかったんです。
集会が終わったら、自分の何かが変わっていました。それがちょうど、36歳の夏のことだったのです!
距離はあっても
それからは、キリストの御前に出ることが何よりうれしいという自分になっていきました。住んでいる東京の集会だけでなく、100キロ離れた静岡県の、老夫妻がご家庭を開放して行なっている集会にも通いました。
少人数で、賛美歌もあまりご存じない方々のいる集いでしたので、私は大声で歌い、毎回が体当たりの思いでした。だれかに悩みや問題があっても、神様に祈れば何かが起きる、うれしくてならない場なんです。
いろんな出会いがありました。小学生の女の子が涙を流して祈っていた姿は、忘れられません。私はノートの扉にお一人おひとりの名前を書きつけましたが、それを見るだけで祈りがわいてきます。
私自身にも母のことなど、つらい経験がありますので、悩みを抱えた方と共に聖書を読んで祈らせていただけることは、何よりの喜びなんです。
今にして思えば、私が自分の人生に描いたシナリオではなく、神様の用意してくださったシナリオがあったんだと、感謝しています。
本記事は、月刊誌『生命の光』857号 “Light of Life” に掲載されています。