随想「帰ってきた祈り」

小山留嘉(るか)

学生時代、英文科教授が一つの詩を紹介してくれた。

A tree that looks at God all day,
And lifts her leafy arms to pray;
木は一日じゅう神を見上げ
青葉のもろ手を上げて祈りをささげている

この詩はジョイス・キルマーという、20世紀前半に活躍したアメリカの詩人によって書かれたものだ。彼の娘が生後間もなく脊髄性小児麻痺(せきずいせいしょうにまひ)にかかった時、そのことを通して彼は神に祈る人となった。そして、この詩が生まれた。

その詩に初めて出合った時は秋で、教室の窓から外を見やると、黄色い葉をいっぱいに茂らせた銀杏(いちょう)並木が青空にそびえるように並んでいた。青と黄のコントラストの、なんと美しかったこと。ほんとうに木々がもろ手を上げ、天に向かって神様を賛美しているように見えて、感動が静かに胸に広がったのを覚えている。

翌春、私は聖地イスラエルに留学し、聖書を学び、帰国後、キリストの福音を伝えようと伝道を志した。結婚し家族ができ、奈良そして群馬で、同信の教友たちと共に祈り、神様を賛美し、福音を伝える日々を送った。経済的に豊かではなかったが、神様を見上げて生きる喜びがあった。

ところが、時がたつにつれ、目の前の活動や行事の運営などに気を取られ、祈りが疎(おろそ)かになり、いつしか内面の喜びを失っていった。ある時、そのことを信仰の先輩から指摘され、伝道者としての活動を停止するよう命じられた。私が祈る喜びを回復することが先輩の意図だったが、真意をくみ取ることができず、伝道の志を絶たれた気がして苦しんだ。

今まで家族のことも後回しにし、すべてをささげてやってきたはずなのに……。悔し涙が流れた。どこにもぶつけようのない思いに、半ば自暴自棄になって故郷の熊本へ帰っていった。

「神様なんてどうでもいい! 人のために生きるなんて無理だ! これからは自分のために、自分の好きなように生きよう」

平日は仕事に精を出し、休日は愛用のスポーツカーを乗り回し、山登りや温泉、居酒屋巡りなどに興じた。充実した毎日を送っているようでいて、心のどこかに虚(むな)しさを抱えていた。12年の月日が流れていった。

ある日、妻が仕事から帰ってきて、「健康診断で乳がんの疑いがあると言われた」と言った。検査の結果、進行が速い乳がんだとわかり、即入院、手術。そして4回にわたる抗がん剤治療が始まった。

片方の乳房は取られ、黒髪は抜け落ち、抗がん剤の影響で食事もほとんど喉(のど)を通らない苦しい時を、妻は通った。私はといえば、年度末の仕事に追いまくられ、疲れて見舞いにもろくに行けず、彼女のために祈ってはみるが、気の抜けたような、力のない祈りしかできない。治療の日、病室で赤い抗がん剤が点滴で妻の体に入っていくのを、なすすべもなく恨めしく眺めるしかなかった。

そんな時、力になってくれたのが、幕屋の教友たちだった。妻につきっきりで世話をし、担当の医師と治療法の相談までしてくれる人がいた。熊本をはじめ全国の教友たちが、妻のために熱く祈ってくださった。

ある日曜日、絶望のふちに暗く沈むようにベッドに横たわっていた妻は、圧倒的な生命が天からやって来て、光に包まれる経験をした。それは幕屋の聖日集会が行なわれていて、皆が彼女のために祈っていた時だった。その時から彼女は、体も心もみるみる回復していった。幕屋に流れているキリストの生命のすごさ、教友たちの愛の温かさが身にしみた。

翌年に定年を控えた10月も終わりのころ。定年後も同じ職場で引き続き勤務することが決まり、これからも好きなことをやって、のんびり暮らせればいいかな、と思っていた時だった。

朝方、寝床で夢うつつの中、天上で何やら会議が行なわれている光景を見ていた。皆がワイワイ語り合っているその時、一人の男性が突然私に向かって言った、「留嘉、いつまでぐずぐずしているんだ! いいかげんに立たんか!」

目が覚めた。時計を見ると午前4時30分。その声の抑揚まで耳朶(じだ)に残っていた。さっきまで見ていた光景を思い返しつつ、床の上にじっと座って、朝日が昇るまで自問自答した。

「おまえはこのまま一生を終わるつもりだったのか? なすべきことはほかにあるんじゃないのか? おまえの魂の本当の願いは何だ?」

「そうだ、残る人生、もう一度神様のため、人のために生きてみよう。それが、自分の魂の願いだ。それをごまかして生きるんだったら、死ぬに死ねないぞ!」

私の心に火が灯(とも)った。

久しぶりに幕屋の集会に参加した。教友たちと聖書を学び、賛美歌をうたい、祈った。同席した一人の婦人が言った、「この前、祈っていたらあなたの顔が浮かんできて、あなたのために祈らされました。こんなに早く祈りが聞かれるなんて思いませんでした」。祈られていたのは妻だけではなかった。私も天上地上の兄弟姉妹に祈られていたんだ……。感謝の涙があふれた。

信仰生活を一からやり直そうと、職を辞し、住み慣れた熊本を出て、妻と2人で上京した。長年かかって集めた蔵書も、愛車も処分し、八畳一間のアパートに入るだけの荷物を持って。今まで大切にしていた物を手離したのに、なぜかうれしい。

朝は小鳥のさえずりを聞きながら瞑想(めいそう)し、夕には妻や教友たちと、神様に祈りをささげる。

木は一日じゅう神様を見上げ
青葉のもろ手を上げて祈りをささげている

若いころ読んだ詩がよみがえり、祈る喜びが帰ってきた。


小山留嘉
『生命の光』誌編集員。
YouTubeでキャンプの動画を見ながら、キャンプ気分でビールを飲むことが最近の趣味。
2024年3月より盛岡幕屋(岩手県滝沢市)に赴任。


本記事は、月刊誌『生命の光』855号 “Light of Life” に掲載されています。