聖書講話「恐れなき心」マルコ福音書6章45節~6章51節
人生いろいろな困難がやって来る時には、だれでも恐れます。病気や経済的な困難、また、思わぬ災難に対する恐れ……そのすべての背後にあるのは、死に対する恐怖でしょう。死への恐れを解決することこそ、人生最大の問題です。この恐れに打ち勝たせるものは何でしょうか。
今回はマルコ福音書を通し、神の愛に信頼して恐れない信仰の心を学びます。(編集部)
今日はマルコ福音書6章45節から学んでまいります。
それからすぐ、イエスは自分で群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダへ先におやりになった。そして群衆に別れてから、祈るために山へ退かれた。夕方になったとき、舟は海のまん中に出ており、イエスだけが陸地におられた。ところが逆風が吹いていたために、弟子たちがこぎ悩んでいるのをごらんになって、夜明けの4時ごろ、海の上を歩いて彼らに近づき、そのそばを通り過ぎようとされた。
マルコ福音書6章45~51節
彼らはイエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。みんなの者がそれを見て、おじ恐れたからである。しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。そして、彼らの舟に乗り込まれると、風はやんだ。彼らは心の中で、非常に驚いた。
私たちはこうやって信仰しておりますけれども、時々考えてみなければならないことがあります。私たちは「自分に信仰がある」と言いながら、どうして信仰に力がないのか。特に人生の逆風にさらされるような場合に、すぐ信仰は力を失います。そして信仰に取って代わって、恐れというものが現れてくる。それは大きな人生の嵐、暴風というものが、自分を破滅させるのではなかろうかと思うからです。ですから嵐が収まれば、その恐れを忘れてしまうでしょう。けれども、それは忘れたのであって、同様な状況が繰り返されますと、潜んでいた恐れ、恐怖というものが、むくむくとわいてまいります。
よく「私は不信仰だ」という言葉を聞きます。不信仰の特徴は何かというと、それは「恐れる」ということです。信仰が進むためには、恐れを解決し、恐れから救われなければなりません。そうでないと、どうしても信仰が生きて働かない。
私たちは、神を信じて生きるときに積極的に歩いてゆけます。神が愛をもって私たちを保護したもう、ということが信じられるからです。
しかし、人生の暴風雨に翻弄(ほんろう)されると、神も保護したまわないかのように、あるいは神は愛かもしれないけれども救う力がないかのように思い込みます。そして、信仰がどこかに潜んでしまい、恐れが私たちの胸をいっぱいに占領してしまう。
そのように恐れに囲まれたときには、もう信仰は働かない。信仰を働かそうと思っても、恐怖というものが魔王のごとくに自分の心を占領しておりますから、キリストの力、信仰の力が働くということはないのであります。
いちばん大切なのは、私たちの心から恐れを取り除くということです。
キリストは死の力に打ち勝つ
新約聖書ヘブル人への手紙2章に、「(イエス・キリストが人間の身体(からだ)をもって来られたのは)死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである」(14~15節)と書いてあります。
人間、何が怖いといいましても、自分が破滅する「死」ほど怖いものはありません。そのような、死の恐怖の牢獄に閉じ込められている人間たちを解放するために、キリストは地上にやって来られたのです。そして死を超えるというか、「もう死ぬことなど恐ろしくない」というような、死の恐怖から解放された人間を作ることが、キリストが肉体をもって地上に現れたもうた目的です。
すなわちキリストは、死の権力をもつ者、死の魔王、悪魔を、ご自分の死をもって滅ぼされた。代数で考えればわかるように、死の権力というマイナスの力に対し、十字架上の死というマイナスの力をもって見事に解決し、永遠の生命というプラスの世界に躍入したもうたのです。ここに、キリストの十字架の重大な意味があるのです。
死の恐怖を克服した人
かつて、日本にも死の恐怖を克服することに努めた人がおりました。細川藩を救った勇士、都甲太兵衞(とこう たへえ)です。太兵衞のおじは大友宗麟(おおとも そうりん)に仕える侍でしたが、大友家が没落して、一族は浪人となりました。その後、豊前の藩主・細川忠利(ほそかわ ただとし)が、「これは見どころのある男だ」と言って太兵衞を召し抱えました。後に忠利が封を肥後(熊本)に移された時、忠利のお供をして肥後に移りました。初めは歩小姓(かちこしょう)という低い身分でした。
ある時、剣豪・宮本武蔵が細川忠利の剣術指南役として召し抱えられることになりました。戦国時代では、優れた侍をもっているということが大名の誇りでした。それで、細川藩にやって来た武蔵に忠利が尋ねました。
「武蔵、どうだ。当家には多士済々(たしさいさい)の侍がいるが、そなたの目がねにかなうような、これは、と思うような人物は見当たらなかったろうか」
「はい、一人だけおりました」
「それはだれか」
「今日すれちがいに会いましたが、名前は存じません」と言いますから、忠利は主だった面々を招じ入れました。しかし、その中にはいないという。それで、武蔵が玄関まで出ましたら、そこで玄関番をしておりました男が、それでした。さっそく連れてゆくと、「ああ、これは都甲太兵衞という男だが、どうしてこのような身分の低い者に目が留まったのか」
「この者の面構えを見たら、平生の心構えというものがわかります。殿がじきじきにお問いになってはいかがでしょう」
ところが封建時代のことです。位の高い侍たちがずらっと並んでいる前で、軽輩の分際で殿様に物を申し上げるということは憚(はばか)られます。けれども忠利公は、「言うてみい。苦しゅうない」と言いますから、都甲太兵衞は、「それでは申し上げます。実は私は、『据え物の心得』ということを、いつも心がけております」と答えました。据え物というのは、刀の試し斬りをするための罪人の死体のことです。それが平生の心がけであるという。
「私の一族は没落した大友家の家臣でしたが、浪人していたところを私は当家に召し抱えられました。この上は、かつて大友家に仕えた者として、また今は当家の侍として、家名に恥じないような生き方をしたい、と常に願っております。
私のような身分の低い侍は、戦の時には真っ先に敵の餌食になるのが仕事です。そうであるならば、せめて見苦しい死に方はすまい、そう覚悟しました。けれども、なかなかその工夫ができません。それで毎晩寝る時に、短刀を細い一本の糸で天井から吊り下げて、もしも糸が切れて落ちれば、自分の眉間に突き刺さるようにしました。
初めはとても怖くて眠れません。目を開くと短刀が目につきます。もしプツッと糸が切れたら死にますから、『ああ怖い』と思いましたが、だんだん慣れてゆくうちに短刀がぶら下がっていても怖くなくなりました。それからというもの、死を恐れない人間になりました。私は下っぱですから、そんなに大した心得をもっているわけではありません。ただ私は、いつも据え物の心得でお仕えしております」と言いました。
ほかの侍たちはそれを聞いて笑いましたが、武蔵は、「殿、これが本当の武道というものです。武道を心得ている者は、自分がいつでも死ねるということを心得ているものであります。これほどの尊い人材がおろうとは」と言って、彼を称賛しました。それが都甲太兵衞でありました。
果たせるかな、宮本武蔵が推奨したように、やがて島原の乱がありますと、原城(はらじょう)に細川藩で一番に乗り込んでいったのが、この都甲太兵衞であります。彼はその功績によって、一躍、300石に加増されました。
平生、大きなことを言っている者でも、いざ戦となると怯むものです。なぜ怯(ひる)むかというと「死ぬかもしれない」と思うからです。しかし死をくぐったというか、死ぬことが平気になった者は恐れがないから、戦場でも真っ先に戦いに出ていって手柄を立てることができるのです。都甲太兵衞は、その心をもって藩のさまざまな問題を解決しました。
そのような解決は、ある心の一関を越えた人にできることです。どんなものにも、死にすらもとらわれぬ心の工夫、これは宗教に通ずるものです。多くの人は、教会に行って十字架でも拝んでいれば宗教だと思うかもしれませんが、本当の宗教とは死に打ち勝つような魂を作るものです。
神の御霊と偕にあるならば
マルコ福音書6章では、イエスが弟子たちを強いて舟に乗せてガリラヤ湖に漕ぎ出させた。ところが、海の上は逆風が吹いて荒れ、なかなか向こう岸に着けません。その時に、イエスは海の上を歩いて彼らに近づかれましたが、弟子たちは幽霊だと思って「おじ恐れた」(50節)とあります。
すると、「イエスはすぐ彼らに声をかけ、『しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない』と言われた。そして、彼らの舟に乗り込まれると、風はやんだ」(50~51節)。キリストと弟子たちは嵐を乗り越えて無事、目的地に着くことができました。
イエス・キリストが乗っておられた舟が、いかに嵐の中でも安全であったか。同様に、私たちが人生の逆風に遭った時に、私たちの魂の造り主である神が、ナザレのイエスとして現れたあの御霊が、いかに人生の逆風から私たちを救いたもうたか。それらの事どもをお思いになれば、信仰というものがよくおわかりになると思います。
「あの御霊と偕(とも)にありたい」、この願いが、私たちに大切な信仰のポイントであります。この信仰のポイントを忘れるときに、大変恐れます。
私たちの人生行路には、いろいろな困難が待っているでしょう。けれども、神が私たちと偕にありたもうならば、どんな試練をも過ぎ越すことができます。旧約聖書にはイスラエルの民がエジプトから逃げ出す時、災難が彼らの家々を過ぎ越した、と記されています。それを記念する過越の祭りの時にキリストは十字架にかかられましたが、キリストを信じる信仰とは、人生の苦しみ、困難をキリストと偕に過ぎ越すことであります。
暴風雨の海を渡る時も
私の体験を申しますと、終戦の年の8月24~25日ごろのことです。それまで大陸で軽金属精製の事業をしていた私は、日本に帰ろうとして、朝鮮の京城(けいじょう)から釜山(ふざん)の港まで来ました。ところがアメリカ占領軍の命令で、すべて日本行きの船の航行が禁じられておりましたので、帰ろうにも帰れそうにありません。
それで港の船だまりをあちこち歩きながら、一隻でも出してくれる人はいないかと思って探しておりました。するとそこで、サルベージ船の船主と知り合いになりました。その人が「この船は海難救助用の快速船だから、暴風雨の中でも対馬(つしま)まで行くのはわけもない。わずか4時間か、5時間あれば行き着ける」と言いますので、私は大金をはたいてその船を一隻、借り切ることにしました。
私一人ではもったいないと思っていますと、元山(げんざん)の海軍病院から逃げ出してきた水兵たちが十数名ほど「乗せてくれ」と言うので、「どうぞ」と言って乗せました。
船が釜山を出航した時は、静かな月明かりの夜でした。ところが、対馬の沖を過ぎるころになると、次第に時化模様(しけもよう)になりまして、大暴風雨に襲われました。
いつになったら嵐がやむのか見当もつかず、ますます激しくなって荒れ狂うので、ついに船長は機関を止めて成り行きに任せたまま、船は木の葉のように嵐に揺さぶられました。さしもの海軍の水兵たちも生きた心地がせず、船酔いするやら、真っ青になっておりました。彼らは「こうして禁を犯して対馬海峡を渡っているんだから、しかたがない」と言って、死を待つばかりにしておりました。
しかし嵐の中にも、私は「この船は暴風の中でも決して沈まないようにできている」という確信がありましたし、神様の大きな保護を感じていましたので、船酔い一つせず、賛美歌をうたったりして過ごしたことでした。
嵐の中でも平気で陽気に歌をうたう私を見て、みんなが驚いていました。これは自分の力ではなく、ただ信仰のおかげなのです。それで30時間ぶりにやっとのことで、対馬の小さな漁港に避難でき、そこで一夜を明かして、翌日、博多に着きました。
人生の嵐の中で神の愛を知る
そのように、キリストの守護のもとに、人生の苦しみ、困難を過ぎ越すことが信仰であります。ですから、人生の困難というか、嵐を過ぎ越した人の信仰でないならば本物ではありません。ただ教理としてのキリスト教を信じていても、そんなものは、私たちを救いはしません。私たちに必要なのは、このような試みの嵐を過ぎ越せる信仰です。
旧約聖書を読んでも、神様はイスラエルの民に幾度も「恐れるな、わたしが偕にいる」とおっしゃっている。ところが私たちは、ともすれば神が偕にいましたもうことを忘れてしまいがちです。そして独りぼっちになったような、わびしい、寂しい気持ちになる。もし、そんな「わびしさ、寂しさ」を知ることが宗教だというなら、それは無常観を知るという程度で、宗教心の序の口であるかもしれませんが、優れた信仰とはいえません。
使徒パウロは、いつもキリストの御霊が自分と偕にあるということを、ひしひしと感じておりました。そのことは使徒行伝を読むと、よくわかります。
ローマに向かうパウロを乗せた船が地中海を航行中、ひどい嵐で海が荒れました。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、船長はじめ皆の者が、死ぬのではないかと思っておりました時に、パウロは皆の中に立って、「ここで、命を失う者は一人もいない。昨夜、私が仕えている神のもとから天使がやって来て、『パウロよ、恐れるな。同船の者たちの命を神はあなたに預けている』と言っている。だから、勇気を出しなさい」と、はっきり言いました。
果たしてパウロの言ったとおり、船はマルタ島の砂浜に打ち揚げられ、船体は激浪のために壊れましたが、乗っていた人は皆助かりました。パウロは嵐の中にも神の愛の保護を感じ取っていたから、恐れなかった。そして、確信をもってこう言いえたのです。
私たちは、恐れがあると信仰が働きません。困難な、恐ろしい問題にぶつかりますと、すぐ、「失敗しないだろうか、命を落としたりしないだろうか」と思って恐れる。それで、いいと思っていることでも実行しません。また、「人にどう思われるだろうか」といって、人の批評を恐れます。そうすると、「やめておこう」ということになって、いいことができません。ここが信仰上、大事な問題です。
全き愛は恐れを取り除く
ここに「百尺竿頭進一歩(ひゃくしゃくかんとうしんいっぽ)」という沢庵禅師(たくあんぜんじ)の書があります。これは、大分のМさんから頂いたものです。私はこの書を頂いたことを大変喜んでいます。それはどうしてかといいますと、昔から私の信仰は、「百尺竿頭進一歩」だからです。
「百尺竿頭進一歩」という言葉は、電信柱のような高い竿頭に立って、なお一歩を進めるにはどうするか、という禅宗の公案の一つです。
これは、私たちの信仰にとっても、いちばん大事な要点です。一歩を進めたら、竿の先から落ちて死ぬ。だから皆、それができない。また、未来の世界というか、未知の世界は経験したことがないからわからない。それが怖いから、一歩を進みえないのです。
私が好きな聖句は、「愛はどんな時にも墜(お)ちない」(コリント人への第一の手紙13章8節 私訳)というパウロの言葉と、「下には永遠の御腕あり」(申命記33章27節)という旧約聖書の言葉です。下には神の永遠の御腕が私たちを支えている。神の愛はどんな時にも墜ちない。このことをほんとうに経験したならば、恐れることなく、思い切った人生の離れ業ができます。
これが信仰です。観念として「恐れない、恐れない」といっても、ほんとうに神の愛の保護というものをありありと知っていなければ、信仰が生きる力になりません。
聖書に登場する優れた人々の信仰は、モーセにしてもダビデにしてもパウロにしても、皆ありありと、魂の父であるところの神と偕に歩いているということです。そして、呼べば応えるように、神が支えてくださることを知っておりました。
信仰は、見えない世界を歩むことです。見えない霊の世界を生きることです。思い切って神と偕に、百尺竿頭、一歩を進めることです。
(1960年9月)
本記事は、月刊誌『生命の光』845号 “Light of Life” に掲載されています。