聖書講話「聖霊によって新しく ーペンテコステの前後(後編)ー」使徒行伝1章24節~2章4節

イエス・キリストは十字架にかかり死なれましたが、復活して弟子たちにしばしばその姿を現されました。そして「聖霊があなたがたに降(くだ)る時、あなたがたは力を受けて、地の果てまでわたしの証人となるであろう」と言われて、天に昇られました。そのお言葉どおり、聖霊降臨の日には、弟子たちの上に大きな変化が起きました。
前編に続き、その弟子たちの姿から学びます。(編集部)


復活されたイエス・キリストは弟子たちに、エルサレムに留(とど)まって祈りつづけよ、と言い遺されて、栄光の雲に迎えられ天に昇ってゆかれました。残された弟子たちはしばしば集まって祈っていましたが、イエスを裏切ったユダの代わりの使徒を選ぼうとしました。ここでペテロが、今は天に帰られたキリストに向かって呼びかけ、祈っております。

「すべての人の心をご存じである主よ。このふたりのうちのどちらを選んで、ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますか、お示し下さい」。それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が11人の使徒たちに加えられることになった。

使徒行伝1章24~26節

「ふたりのうちのどちらを」は、原文では「ふたりのうちの1人を」となっております。

十二使徒といいますが、11人でもいいじゃないか、と私たちは思います。ですが、ここがユダヤ人の思想でして、12というのは彼らにとって神聖な数字です。ユダヤ民族は十二部族から成っておりましたが、12は完全性を示す数字といわれ、宗教的に大事な意味をもっています。それで、12人目の使徒を補充しておきたい。イエス様が12人をお選びになったのだから、残った自分たちも12人の幹部で構成しよう、集団指導というか、集団的な合議制でゆこう、というわけだったのでしょう。

25節で、ユダに対して「自分の行くべきところへ行った」という表現のしかたをしています。神の与えたもうた使命ではなくして、自分の行きたいところへ行った、という。ここに、ユダの姿が見えます。悪魔というものは、おのが欲を行なわせようとします。一人ひとりの利己的な欲を煽(あお)ります。それで操られだしたら盲目になって、どんなに言ってやってもほかのことはわからなくなります。そして、おのが道をまっしぐらに走ってこのように自滅してしまったのが、ユダの姿です。「ユダは自分の行くべき道に行った」――面白い書き方ですね。これは霊的なことを知っている人の書き方です。

聖霊を受ける前の弟子たち

さて、だれか1人を補充するために、「くじを引いたところ、マッテヤに当った」(26節)とあります。マッテヤという名は「主の賜物」という意味ですが、その名のように神の賜物として使徒職がこの人に与えられ、ほかの11人に加えられた、というのです。

このくじを引くというのは、旧約時代にたびたび行なわれた風習でありまして、たとえばイスラエルの最初の王様を選んだ時も、くじを引いてキシの子サウルが当たりました。

しかし、主イエスが十二使徒を選ばれる時にどうなさったかというと、夜もすがら祈ってお決めになりました。徹夜して祈り、神のお示しを受けられた。また使徒行伝ではこの後、アンテオケの教会(エクレシア)(注1)においてパウロとバルナバを外国伝道に遣わす時も、皆が断食して祈っている間に聖霊によって示され、按手(あんしゅ)して2人を送り出しています。ですから信仰がほんとうに燃えている時には、祈って神に示されています。

ところが、信仰がぼんやりしてくるとこのように、くじで決めようじゃないか、ということになってしまう。これは、今の人たちが陥りやすい弊ではないかと思います。新宿の裏街などに行きますと、手相見や筮竹(ぜいちく)で易占をする人たちがたくさんいて、そういう者の言葉を信じて受け取る人たちがありますね。これは、本当の生きた信仰、神のスピリチュアル・ガイダンス(霊導)というものを知らないからです。

しかし弟子たちは、その後、聖霊を受けて聖霊に導かれるようになってからは、こういうくじ引きはしておりません。ここに、信仰が低迷した時の一つの状況がわかります。

「どうしていいやらわからないから、くじで決めよう」とか、あるいは人間的な閲歴、イエスがヨルダン川でヨハネから洗礼(バプテスマ)された時から一緒にいたという、信仰年数とかを重んじるときに、これは霊的に正しい姿であるとは思いません。

イエスの弟子たちが集まっていたシオンの丘(エルサレム)
(注1)アンテオケ教会

新約時代に、迫害を逃れてイスラエルの地を離れたキリスト者たちによって、シリアのアンテオケ(現トルコ・アンタキヤ)でできた信徒たちの集団。後に小アジア、ヨーロッパなどへの異邦人伝道の拠点となる。

キリストの囁(ささや)きに導かれる者に

私にもこんなことがありました。熊本師範の付属小学校に通っていたころ、父が高島呑象(たかしま どんしょう)という有名な易占師に聞いて、私は商業学校に進まされました。それまで「武士の子」といって育てられてきたのに商売の道に進まされ、入学したものの勉強にやる気が起きません。その後も、父が神社の神主に頼んでくじ引きで決めた高等商業を受けさせられました。

父は、私が経済方面に進んでエコノミックアニマルのようになることをこの世の成功と思っておりますから、それが私のような精神的な子供にはたまりませんでした。どれほど親を恨んだかわかりません。だから、こういう聖書の記事を見ると、いかにそのころの弟子たちの信仰が低かったかということがわかります。

ここに、初代教会のペンテコステ(注2)以前の姿があります。私たちも、未来のことについて、また重大な事柄についてわからなくなるとき、どこに相談の行きようもないと、くじでも引きたい気になりますね。人を嘲笑(あざわら)えないと思います。

しかしこのような弟子たちが、このペンテコステの日――主イエスが十字架にかかられた時から7週間後の50日目になると、俄然(がぜん)、神の霊が天降(あまくだ)ったため変化してしまったんです。昨日までの、信仰が低迷していた弟子たち。しかし、ペンテコステの日にペテロが聖書を適切に引用してエルサレムの人々を相手にイエス・キリストを力強く証ししたように、人間をガタッと変えるものがあります。これがペンテコステの日の出来事でした。

私たちも、ペンテコステの出来事に出合わなければなりません。そうしますと、ほんとうに生涯が変わる。もう、くじなんか引いたりしません。迷うこともない。すべてのことを祈ってキリストに聴けば、キリストは鮮やかに語り教えたまいます。聴かないためにしくじること、たびたびです。しくじった場合、大概は神様に聴かなかったからですね。

(注2)ペンテコステ

ギリシア語で「第50」を意味する言葉で、ユダヤ教の三大祭りの1つ、「七週の祭」のこと。過越の祭から50日目に当たる、春から初夏のころに祝われる。五旬節とも。キリスト教では聖霊降臨の時とされる。

天来の霊風に吹かれると

五旬節(ペンテコステ)の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった(原文では「満ちた」)。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

使徒行伝2章1~4節

弟子たちはこのペンテコステの日まで、皆が集まって熱心に祈っておりました。そして、後の箇所を読むと、これは朝も早いうちの出来事ですから、徹夜の祈禱会がずっと続いていたことがわかります。朝早く祈ることが大事ですね。

インドに行きますと、人々はもう夜明け前からガンジス川などに浸(つ)かって祈っていますよ。たくさんの人たちが水垢離(みずごり)しながら川の中で祈って、夜が明けるとともに岸辺に上がって、アシュラム(修養道場)で講習がある。それを見ると、インド人はほんとうに信仰的な、宗教的な民族だなあと感心しましたね(1970年1月、手島郁郎はインドを旅行した)。だらけきった西洋のキリスト教国とだいぶ違いますよ。

さて、ペンテコステの日に皆が朝早く集い祈っていました時、突然、激しい風が吹いてきたような音が起こった。原文は「吹く」ではなく、「運び込む」という動詞の受身形です。激しい風が運び込まれるように天から音が起こった。

「音が天から」とありますが、「天の音、天来の音」です。天伝(あまづと)う音が起きたという。ここに、私たちが朝早くから祈らねばならぬ理由があります。天来の音を耳にしようと思う者は、ほんとうに熱心に祈って祈って待たねばなりません。「いやあ、もうこれだけ祈ったのに」と言っては駄目です。突如として、と書いてあります。突如として天来の風が音を運んでやって来る前と後とでは、ガラッと変わってしまう。ぜひとも、ペンテコステの天来の風に触れたいものです。

「風 πνευμα プネウマ」というギリシア語には、「霊」という意味もあります。イエスのご生前、ひそかに訪ねてきたユダヤ教の教師ニコデモは、イエスのなされた不思議な奇跡に驚いて、「あなたは神から遣わされた教師です」と言った。その時、イエス・キリストは、「人は水と霊とによって新しく生まれなければ神の国に入ることはできない。風は自分が好む所に吹く。あなたはその音を聞くけれども、風がどこから来てどこへ行くかを知らない。霊から生まれる者も、また同様である」と答えられました(ヨハネ福音書3章)。

そのように、突如として天来の霊風が吹き来たる。それに触れたら、私たちにガターンと変わる出来事が起こる。これがペンテコステの現象であります。今まで弱かったペテロやヤコブ、ヨハネたちも、雄々しい人間に一変しました。

霊というものは、聖書においては、神が臨在する時に力となって現れます。この霊によって、天地宇宙が創造されました。この神の霊が人間に与えられる時に、枯れ骨の谷の死人のような者たちも息吹き返してくる、とエゼキエルは預言しております。

またこの霊に触れる時に、預言者となる。不思議な天来の知恵が私たちに与えられます。これを現実にまざまざと得させるために現れたもうたのが、イエス・キリストであります。

それまでにも断続的に、神の御霊が臨んだ人たちが、旧約時代にありました。しかし、イエス・キリストは全く御霊の化身でありまして、神の霊ご自身が人間のイエスという肉に宿り、余すことなくその栄光を顕(あらわ)したまいました。この霊が、また私たちに臨むように祈り求めるところに信仰があります。これが「父の約束」である。この約束というものは、神様が約束したのですから、必ず成就します。

初代教会の人々は、ほんとうに祈ってその約束を待った。私たちは、もう駄目かと思って祈り求めることをやめるべきではありません。強く強く求めねばならぬと思います。

回心を引き起こす霊火

使徒行伝2章3~4節を原文で読みますと、「炎のような分かれた舌が現れて、一人ひとりの上に留まった。すると、すべての者たちは聖霊に満たされ、”別の言葉”で語りだした、御霊が語らせるままに」とある。火の”ような”舌がメラメラと現れたという時、これは一つの幻(ビジョン)を見たのでしょう。また、天来の響きが風の”ように”起こったという時に、霊的な現象ですから、地上のことに翻訳して「~のように」という語を使っているのですね。「別の言葉で」とは、「ετεραις γλωσσαις ヘテライス グローッサイス 異種の舌で」という字ですから、単なる言葉と区別しております。別種類の言葉を語りだした。異言(いげん)状態であったことがわかります。

このような不思議な状況は、この時ばかりではありません。後にペテロがカイザリヤに行って、ローマの百卒長コルネリオという異邦人に伝道した時も同様でした。ペテロが語りつつある間に、ペンテコステのような状況が起きた(10章)。また、エペソにおいてパウロが伝道しました時も、同様に人々が異言で語りだした(19章)とあります。

私たち、原始福音の群れにおいても、こういう状況が起きてきました。ある場合には、皆が異言で一斉に祈りだすと、空気が粘っこくなるほどに感じられ、火のように熱くなって、集会の真ん中に立って指導している私は倒れそうになり、神経がどうかなりそうな気がしたこと、しばしばです。

しかし、そのような表面的な宗教現象が第一なのではありません。そういう雰囲気をくぐった途端に、魂がガターンと変わるから大変なことなのです。私たちの願うところは、「コンバージョン」、心がひっくり返って神に立ち帰る「回心」ということです。ペンテコステに似た状況を作り出すことが目標ではありません。

今のクリスチャンには「ペンテコステはつまらん」と言う人もいますけれども、皆さんご存じのように、この日を期して初代教会は成立したんです。恐れ戦(おのの)いてバラバラだった弟子たちの不信仰な魂が、すっかり変化してしまったとなると、不問に付せないはずです。

しかし、初めての出来事はだれしも異様に感ずるものでして、抵抗したい気持ちになる。「どうも原始福音はおかしい」と言う人もいます。だが、それではまず使徒行伝がおかしいということになる。振り返ってみますと、このような出来事が私たちの群れでは次々と起こってきましたから、全国にこの信仰が拡(ひろ)まってきたのです。これは、人間がだれかの思想を宣(の)べ伝えたとか、原始福音の教理というものを伝えたとかではありません。神の霊の臨在が目に見えるほどにも濃厚なシェキナー状況(注3)において、神ご自身が働きたもうから、一人ひとりの魂が捕らえられるのです。

(注3)シェキナー

元は、「住居、定住」を意味するヘブライ語。ユダヤ教において、「神の臨在」を表す。

ペンテコステの日の意義

ペンテコステの日は本来、どういう日であったか。旧約聖書の申命記16章を読みますと、「また(過越の祭から)7週間を数えなければならない。すなわち穀物に、かまを入れ始める時から7週間を数え始めなければならない。そしてあなたの神、主のために七週の祭を行い、あなたの神、主が賜わる祝福にしたがって、力に応じ、自発の供え物をささげなければならない。……あなたの神、主の前に喜び楽しまなければならない」(9~11節)と書いてあります。ペンテコステの日は、収穫物の初穂を神に献(ささ)げる日でありまして、この日は喜びをもって守らなければならぬ、というわけです。
ペンテコステの一つの表情は”喜び”です。込み上げるような喜び、心底からうれしくてうれしくてたまらない歓喜が突き上げてきます。これが新約聖書において成就しました。

もう一つ、ペンテコステの日の意味があります。「あなたはかつてエジプトで奴隷であったことを覚えよ」と申命記にありますが、その奴隷であったような者たちに対して神様は、シナイ山でモーセを通して「十戒(じっかい)」をお授けになった。イスラエル民族に十戒という啓示が与えられた記念日として守るようになったのが、このペンテコステの日です。

イスラエルの掟(おきて)の根本は「十戒」です。出エジプト記20章にあるように、十戒は古代イスラエル民族の憲法ともいうべきものです。しかし、これはおかしな憲法でして、普通でしたら民族の誇りを謳(うた)い上げるものですが、十戒の最初には、「わたしはあなたの神、主(エホバ)であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」と書かれています。

だれでも過去の苦しかったことは忘れたいものです。特に日本人は「過去は水に流そう」と言って、さっぱり忘れるのが性質ですけれども、ユダヤ人は逆です。毎年毎年、過越の祭が来るごとに、出エジプトを記念して「おまえたちの祖先は奴隷であった。苦しい自滅以外に何の希望もない民族であったのに、神エホバが現れて救い出したのである。この神を忘れるな」という聖書の箇所を読む。それで、いかに神が愛であったかを知るわけです。

その愛は、倫理としての、抽象的な名詞としての愛ではありません。実際に泥沼のような苦しい境涯に悩み嘆いていた者を、その運命を引っ繰り返すようにして贖い出したお方、これがおまえたちの神である。この神を忘れるな、と。ユダヤ人は執念深いといわれますが、昔からよきことにつけ悪しきことにつけ、このように繰り返して、「忘れるな、忘れるな」と教えています。

日本人は、この点を見習うといいと思います。たとえば、「原爆の日を忘れるな」「東京大空襲の日を忘れるな」とでも言うべきです。ところが原爆の慰霊碑に、「過ちは繰り返しません」などと書いて、戦争に敗(ま)けた者の根性を丸出しにしている。

ユダヤ人なら決してそうは言いません。敗けても敗けても、迫害の歴史やナチスによる大虐殺を通って苦しくても苦しくてもそれを忘れず、なおこの苦しみを救う神のあることを信じております。

天来の火にバプテスマされよ

さらに出エジプト記では、神様がシナイ山においてモーセに十戒を授けたもうた時、嵐のような中で、火のような稲妻と雷鳴がとどろく中でモーセはそれを受けました。ペンテコステにおいては天来の風が激しく吹き来たって、シナイ山で直に神の言(ことば)を受けた時の状況が再現されたというんです。ルカ福音書3章で、洗礼者ヨハネが「私は水で洗礼(バプテスマ)を施すが、私よりも力のある方(イエス・キリスト)が来て、聖霊と火とでバプテスマされるであろう」と言ったけれども、この火のバプテスマが起こった証拠に異言を語るようになった、と使徒行伝は書いている。火のような舌が現れて各人の上に留まったら、不思議な変化が起きて皆が普通とは違う言葉を語りました。

どうぞ私たちも、ほんとうに神の御霊に触れとうございます。

私たちの罪というものは、天来の火が、焼き尽くすようなものが来ない限り、拭(ぬぐ)われたり聖(きよ)められたりするものではありません。どうぞ、キリストが「われは火を地上に投ずるために来た。この火すでに燃えたらんには、われまた何をか望まん」と言って、願いに願いたもうたものを、私たちも皆、受けとうございます。

(1970年)


本記事は、月刊誌『生命の光』864号 “Light of Life” に掲載されています。

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