信仰の証し「もうごまかさなくていい!」
松雄かおり
生まれも育ちも東京の私が、愛媛の緑豊かな山里に移り住んできたのは2年前。ここは、自然がいっぱい。家にはムカデ、ゲジゲジと、見たこともない生き物が次々に現れ、この前なんかは玄関にマムシが!
そんな時は、賛美歌を大声でうたって心を落ち着かせ、元気を出し、最近では少々のことでは驚かなくなりました。
私の幼いころ、父が病気のため母が働きに出ていたので、「甘えたい」という気持ちを自分の中でグッと抑えていた時期がありました。人からはよく、「明るく元気ね」と言われるのですが、今思うと、寂しさをごまかそうと、明るくふるまうことで自分を守るというか、そんな癖が身についたように思います。
両親は幕屋に集い、信仰に熱心でしたが、私には信仰といってもよくわかりませんでした。
中学生になると、休日は両親に内緒で、友達とカラオケボックスでお酒を飲んで、夜通し遊ぶような生活でした。「なんかうまくいかないなぁ……」と思うことが多くて、自暴自棄になると「私なんていないほうがいい……」と、実は何回か、マンションから飛び降りようとしたこともあります。本気かどうか、自分でもわからない。でも、「もう死ぬ!」と叫んで家を飛び出す私を、母は全力で止めてくれました。よく母を泣かせていました。
●否定のできない体験●
高校3年生の夏に、長野で幕屋の聖会が行なわれたのですが、母が涙ながらに「どうしても聖会に参加してほしい」と言ったんです。宗教には反発があって、自分には必要ないと思っていたのですが、その涙に押し切られるようにして、2泊3日の聖会に参加しました。でも、会の内容はチンプンカンプン。会場の後ろの方で友達としり取りをして遊んでいました。
けれども、最終日のことでした。壇上に一人の人が抱えられてきたんです。見るからに病弱そうで、両脇を人に支えられていました。それは弓削田隆一さんという、末期がんを患っている方でした。
「えーっ、この人大丈夫?」と目がくぎづけになっていると、突然その方が叫ばれました。重篤な体なのに、いったいどこからそんな声が出るのかというぐらい大きな声で「闘魂!」と。
普通ではありえない光景でした。私はそれまで神様を知りたいなんて思ったこともないのに、その姿を見て、「この人を突き動かしているものは何だろう。もしほんとうに神様がいるなら、私もその世界を知りたい!」という衝動がわいてきたのです。
その途端、私の中にまぶしい光のようなものが入ってきて、「神様は生きている!」と感じました。神様なんかいない、という今までの考えがひっくり返ったんです。そうしたら、天から神様の愛がグワーッと迫ってきて、感謝の涙がボロボロとあふれて、うれしくてたまらなくなりました。否定しても否定できない、衝撃の体験でした。
それから1カ月後、弓削田さんは亡くなりました。死に直面しても雄々しく地上を生き抜かれたこと、その死はつらく悲しいものではなく、死に打ち勝った勝利の最期だったことを、後になって母から教えてもらいました。
●この愛さえあれば●
その後、私の生活はガラッと変わりました。何をしていても神様を感じてうれしいし、夜通し遊ぶことが急に味気なくなって、代わりに聖書を読むことが面白い。「神様は生きていて、私を見ておられる」と知ったら、自分はどういう人生を送ろう、何に向かって進もうかと、真剣に考えるようになりました。
そして毎朝、毎晩、祈らずにはおられない。祈ることが楽しみになりました。そうやって心の意識が明るく変わりはじめたら、それまでのように寂しさや空しさをごまかす必要がなくなったんです。
働きはじめた保育園では、職場の同僚に「神様っているんだよ!」と話しつづけました。もう、この感動を分かち合いたい! みんな「えーっ、うそー」と目を丸くして驚いていましたが(笑)。
そんなある日、「大丈夫? 顔が白いよ」と人から言われて病院に行くと、原因不明の「白斑症(はくはんしょう)」と医師から診断されました。皮膚のメラニン色素を作る細胞が攻撃されて、肌の色が白く抜け落ちていく病気です。
さすがにつらかったです。女性として、まだ結婚もしていないのに、見えない所ならまだしも、顔って……。
ほんとうに苦しかった。追い込まれるようにして「神様、どうしてですか……」と祈らされました。
でもある時、手島郁郎先生が戦後、熊本でキリストの伝道を始められたころ、当時は恐ろしい病とされていたハンセン病の方々をお訪ねして、一緒に祈っておられた話を聞きました。
皮膚のひどい病で両足を失った方、目を失った方などが、世間から隔離され、全く希望のない人生を送っていたそうです。
けれども、ひとたびキリストの聖霊を注がれると、どんなに体は不自由であっても、心にはあふれるような天の喜びを抱いて生きはじめられ、光り輝くようなお姿だったそうです。そして、その感激のあまり病気をも感謝した、というのです。
それを聞いた時「ああ、そういう世界があるんだ! 私も外側はどうなっても大丈夫。私の病気は、きっと神様が与えてくださった恵みなんだ。私もその喜びを知りたい!」と、ハッと心が上を向いたんです。
「神様は、私を愛しておられる……」という思いが心にジワーッとしみ込んできて、この愛さえあれば、白斑症なんかはどうでもよく感じたんです。
●些細に見えることでも●
その後、私は同じ信仰をもつ人と結婚して、四国に来ました。キリストを伝えたいという主人の願いからですが、私も同じ思いです。
最初は、主人はなかなか仕事が決まらず、私も重いつわりの時期が重なって、「しんどいなぁ」と思うこともありました。でも私の内側には、何もかもが空しかったあのころと比べて、神様から愛されている喜びと感謝があふれています。
些細なことかもしれませんが、私が働く先で牧師さんの奥さんと親しくなったり、スーパーで何げなく順番を譲った初対面の方と話が弾み、人には言えないような心の痛みまで話してくださったり、そんな一つひとつが、私には天からのサインに思えるんです。
そして、どうか四国の地に神様の愛が伝わっていきますように。そう毎朝祈りながら、来る日も来る日も心を燃やしています!
本記事は、月刊誌『生命の光』832号 “Light of Life” に掲載されています。