エッセイ「赤い靴を抱いて」
三塚明美
街で、赤い靴を履いて歩く子供を見かけると、思い出すことがあります。
私は、生まれて間もなく心臓に障害があることがわかりました。顔色も悪く、成長も遅い。頭ばかりが大きくて、母が私を負ぶって歩いていると、人が振り返るほどだったそうです。
大学病院では、4歳になるまで待って手術しましょう、と言われました。けれども近所のお医者さんには、手術なんかしたらこの子は死んでしまう、絶対にしないほうがいい、とはっきり言われたそうです。そんな時、母の職場の方が幕屋の集会に誘ってくださいました。
確信に満ちた姿に
初めて行った名古屋幕屋で、伝道者のご夫妻が玄関で母と私を迎えてくださいました。その時、奥さんに抱っこされた私は、とても大きな声で泣いたそうです。すると奥さんは、「すごい生命力があるわ、この子は!」と言われました。
また、伝道者の先生が、「キリストの生命さえあれば、絶対に大丈夫です。神様を信じて祈れば、そのごとくなります」と言われたそうです。
確信に満ちて語られるそのお姿に、「ここの祈りは必ず聴かれる!」という思いがわいてきて、帰り道には母はすっかり元気になっていました。この子はだめだ、もう助からない、と言われつづけていた母にとって、お二人の言葉は、まさに天からの声だったのです。
それから母は、私を負ぶって熱心に名古屋幕屋に通いました。何度目かの集会で、聖霊を注がれる体験をして、神様が慕わしくて、祈らずにはおれない心に変わりました。けれども体力がない私は、同年代の子供が元気に跳びはねているのになかなか歩くこともできず、いつもじっと母のそばに座っていました。
ある日、伝道者の奥さんが、「この靴を履かせて、明美ちゃんが歩く姿をありありと想像しながら祈るのよ」と言って、赤い靴をプレゼントしてくださいました。真っ赤なかわいい靴を見た母は、「神様、この子がこの靴を履いて歩く日が必ず来ますね」と、私が元気になることを心から信じ疑わないで、ひたすら祈りつづけました。
先生ご夫妻や母の祈りがあって、次第に元気になっていった私は、ほんとうに赤い靴を履いて歩けるようになったのです。
きれいになった息子の肌
この信仰の中で育ち、成人した私は、自分自身もキリストにつながる体験をしました。やがて結婚して3人の子供を授かりました。それは、かつて体の弱かった私にとって、夢のようなことでした。
でも、子供たちのことでは悩む日々もありました。特に次男は、生まれた時からひどいアトピー性皮膚炎でした。引っかいた所から膿(うみ)が出て、夜も泣いて眠れません。体じゅう、包帯でグルグル巻き。顔もただれて、この子は一生このままなんだろうかと、私の心は心配でいっぱいになっていました。
そんな時に、母が名古屋から東京のわが家まで来て、「私が孫たちを見ているから、あなたは祈り会に行きなさい」と言いました。ちょうどその時、同年代の婦人たちが集まる、泊まりがけの祈り会があったのです。私はその集会で、語り合い、祈り合ううちに、心が潤されていきました。
家に帰ると、なんということでしょう、息子の肌が見違えるほどよくなっているのです。母の腕の中で、すやすや眠っていました。
驚く私に母は「この子を抱いて、肌がきれいになった姿を思いながら祈っていたの。そうしたらキリストの御愛を感じて、感謝がわいてきてね。ふと見たら、よくなってきたのよ」と言います。
その時、私は思いました。ああ、私はこれまで、母のように神様を心の底から信じて祈っていなかった。次男の状況を見ては動揺し、かわいそうだとばかり思っていた……と。
そうして、「かつてあんなに弱かった私を強めてくださり、この子を私に託してくださったのは、神様、あなたでしたね」と感謝がわいてならなくなりました。
アトピーの症状はまだ残っていましたが、ひどい痒(かゆ)みがなくなって元気に遊び回る次男の姿を思い描きながら、祈るようになりました。そうしているうちに、私の中で確信が芽生え、大きくなっていったのでした、「これから何があっても、この子は大丈夫だ」と。
その息子は今、元気に社会人として働いています。
あの伝道者の先生ご夫妻も、祈りつづけてくれた母も、すでに天上の人となりました。赤い靴を見かけるたびに、心の底から信じて神様に祈ることの大切さを教えてくれた方々を想います。
本記事は、月刊誌『生命の光』843号 “Light of Life” に掲載されています。