若いひとの声「思い出したくなかった記憶は」

三浦留都子(るつこ)

高校を卒業して公務員になり、ハローワークに勤めて3年目に、失業給付の窓口に配属されました。

失業してハローワークに来られる方に、求職活動をしている間の給付金の説明をして、支給の手続きをする担当です。けれども私にとっては、難しいなと思うことも多いお仕事でした。

お金が絡む内容で、仕事を失って、どちらかというと余裕がない方が来られるので、時には窓口で40~50代ぐらいの方に怒られることもあります。

かといって、なるべく神経を逆なでしないようにと下手に出ていたら、後で先輩から、「さっきの方には、なめられていたね」と言われるような状態でした。

職員の皆とはすごく仲がよかったんですが、軽い愚痴みたいなのを吐いて、ストレスをちょっと緩和させてっていうのは、日常茶飯事なんです。だんだん、それに気持ちがずるずる引きずられるようになってしまって。

最初は、人のお役に立つようなことができたらいいな、と思って始めたつもりだったのに。

一生懸命、頑張ることはできるのですが、窓口に来られる方に、ほんとうに心を込めて応対することができているのかな、こういう状態でずっと続けていくのがいいことなのかなって、思い悩んでいました。

そんな時に幕屋の集会で聞いた、「あなたがたは、この世と妥協してはならない」(ローマ人への手紙12章2節)という聖書の言葉が、とても心に残りました。

今の仕事を続けていけばきっと、外側の生活の面では豊かになっていくだろうけれど、いったん置いて、何か新しく出発がしたいと思いました。

でも、安定している公務員を辞めるなんて、と職場の方には言われます。それに、私が高校2年生の時に母が亡くなっていて、家族のことも心配でした。兄は引きこもりがちで、妹2人はまだ小さかったからです。

でも父や祖父母が、私の信仰の成長を願って背中を押してくれて、私は仕事を辞め、一歩踏み出したのです。

そして、父や母が若いころに行き、よくその時のことを話していた、幕屋のイスラエル留学に私も1年間行きました。同世代の友と毎朝祈って力を受け、ヘブライ語の勉強や労働に、そして聖書の地を旅したりして、精いっぱい生きることができました。

イスラエル留学中のホストファミリーと共に

今は、『生命の光』を発行しているキリスト聖書塾で、皆さんが神様のために働くのを下支えできるよう、掃除やお料理などをしながら、信仰を学んでいます。そして、一緒に働く女子青年たちとの毎朝の祈禱会で、私は、「神様、明るく走り抜かせてください」と祈っていました。

この間、ある方から、イエス様が伝道に立つ前に荒野でサタンの試みに遭われる、聖書の箇所のお話を聞きました。

「それは一見、サタンの試みのように見えるが、『御霊によって荒野に導かれた』と書いてある。また、サタンによる試みも、神様がよしとされたからできるのだ」

そして、今、その方が直面しておられる困難を明かしながら、ご自身の魂が変わるために、神様から試みが与えられている。神様はこの身をもっと高みに、新しい魂に練り上げようとされているのだ、と話してくださいました。
 私は、明るく走り抜かせてくださいと祈っていたけれど、それはイスラエル留学で、祈ると力を受けて走り抜くことができ、うれしいうれしいで歩んでいた、あのころに戻りたいと願っていただけなんだ、と思いました。

「ああ神様、私のやるべきことは、あのころに戻ることじゃないんですね」と気づかされました。

去年の秋、亡くなって6年がたった母を、幕屋の霊園に納骨しました。実は、亡くなって1年ぐらいして、お母さんのお骨をどうしようかという話が出た時、真っ先に「嫌だ!」と言ったのが、私でした。母が亡くなってから私の中に、まだお母さんがこの家にいてくれないと困る、という思いがずっとありました。

家族と一緒に納骨堂の前で

でも今は、悲しい気持ちじゃなくて、ほんとうにこの6年間、感謝だったなと思っています。また去年は、今までどうやったら解決していくのかなと思っていた家族の問題が一つひとつ動きだしていって、この時にこそ納骨できると私の中でも定まりました。

納骨するに当たって、私がいちばん避けて通ってきた、大事だけれど思い出したくない部分もいっぱいある、母が亡くなる前の記憶を、いろいろ呼び起こしました。

3年間、闘病生活を送りましたが、がんが見つかった時にはもう、ステージⅣまで進んでいました。

余命は半年だったということですけれど、私たち兄妹はそのことをずっと知らないまま、亡くなる直前になって初めて聞かされました。ですから、何度もおなかを開ける手術をして、その後も抗がん剤の治療がずっと続きましたけれど、病気が治って元気に生きていくと疑わずに過ごしていた私たちを、母自身はどんな気持ちで見ていたのかな、と思ったり。

でも、母にとって亡くなる前の3年間が、ある意味で、いちばん生き生きと、何か本領を発揮したように生きていたな、という思いもします。

最後になった聖会で、親友の、難病で車いすに乗っている息子さんに会った時、「希望をもって生きるんだよ!」と、自分も車いすに乗りながら、励ましの声をかけました。息子さんは母のことを、「自分がいちばん大変なのに……、あんな人になりたい」と言っていたそうです。

病院のベッドでも人のことを思いつつ、またどんなに私たち兄妹のことを祈ってくれていたか。

そのすべてを通して、ほんとうに神様と向き合うことが必要とされた3年間。母の姿ってそうだったなと、納骨を通して思い出されました。神様は、母の魂を練り上げてくださったのだと思います。

私も、ただうれしいだけではなくて、大変で逃げ出したくなるようなところを通らされても成長していきたいなっていう願いがわいてきています。(東京都在住)


本記事は、月刊誌『生命の光』862号 “Light of Life” に掲載されています。

日々の祈り

前の記事

1月19日New!!
日々の祈り

次の記事

1月21日New!!