震災から1年を語る「能登に再び喜びの声を」
宮元 孝市
美千子
能登半島地震から1年がたちます。昨年、この地の復興を祈るため、そして亡くなられた方々の慰霊のため、各地から幕屋の教友が集まりました。
震災からのことを、能登出身で金沢市に住んでいる、宮元孝市さんご夫妻にお聞きしました。 (編集部)
宮元美千子 震災後の1月末に、私の故郷・輪島市の朝市通りにようやく行くことができて、火災の惨状を目の当たりにしました。
私は壊滅状態の町を見て心が凍りつき、もう復興なんて無理だと思いました。でもその時、急に、賛美歌を歌いたい、多くの方が亡くなった輪島の朝市で、皆で歌いたいと思ったんです。
あれから7カ月がたった時、東北や関東、九州から100人近い教友がこの輪島に来られ、慰霊の祈りと共に賛美歌を歌うことができたんですね。
一瞬にしてなくなった故郷
宮元孝市 地震が起きたのは元日の午後4時過ぎでしたから、私は2階の自室でくつろいでいました。
すると突然、緊急地震速報のアラートが鳴る前に、ドーンとすごいのが来たんです。冬ですから石油ストーブをつけていたわけですが、それを消すこともできないくらい、身動きがとれなかった。
美千子 私はちょうど蒔絵場(まきえば)にいました。普段、私は自宅で能登の名産・輪島塗の漆器に蒔絵を施す、伝統工芸の仕事をしていますが、その蒔絵場で地震に遭いました。しかも、2回目は揺れがもっと大きく、道具棚が倒れないよう必死で押さえました。
孝市 慌ててテレビをつけて見ると、震源地はどうも能登半島の先端みたいだ、と。私の実家は、震源地のすぐ近くの珠洲市(すずし)にありますが、電話をしても、安否確認が全くできないんです。
ようやく翌日、正月で実家にいた姪(めい)とつながり、親戚の二家族が皆帰っている状況で家が崩れ、下敷きになったことを知りました。幸いに、瓦礫(がれき)のすき間から逃げて全員無事でした。でも、近所に住む私の同級生のお父さんは、梁(はり)の下敷きになって亡くなったんです。
私はしばらくして、やっと珠洲に行けました。そこで見たのは、思い出がいっぱいある実家の倒壊した姿と、一瞬にしてなくなってしまった故郷でした。
美千子 輪島市の私の実家、数年前に召天した父母がいた家は、ぐちゃぐちゃになりました。
実は、私はちょうど年末に、蒔絵の材料を買うために朝市に行っていたんです。そこで漆器屋さんたちと、「年が明けたら頼んだ物を買いに来るね」と話して帰ってきた店が、軒並み全部、焼けてなくなっている。
私は輪島生まれの輪島育ちですから、通りに住んでいる人は、だれくんの家、だれちゃんの家と、みんな知っているんです。実家も朝市もなくなってしまい、子供のころからあったものが、バーンとすべて取り去られた感じがしたんです。
壊滅状態で焼け野原になった町並みを見て、これではもう復興はできるはずがない、輪島はもう元には戻らないと、私は心が苦しくて苦しくてなりませんでした。何もできない無力な自分に、泣きたくても涙も出ない心境でした。
被災した能登への思い
孝市 募金やボランティア活動をしても結局、物質的な復興は、私たちだけではできません。思い悩み、煎(せん)じつめると、キリストの贖いの生命を知る者として、珠洲や輪島のために悲しみを希望に変えるような祈りをすることが、私たちの使命だと思わされたんですね。
以前、一つの夢を見ました。手島郁郎先生が出てこられ、「だれか能登に行く者はいないか」と弟子たちに言われるんです。でも、だれも手を挙げなかった。すると先生が私に「おまえはどうだ」と声をかけられた夢でした。それがずっと心の片隅にあったんです。
私は能登の田舎にいるのが嫌で、故郷から出た者です。今は金沢市に住んでいて、平穏無事な日々が続いていたら、能登半島のために祈るという故郷への熱い思いは、私には起きてこなかったと思うんです。
我を忘れる祈りで心が解かされる
美千子 震災後の数カ月間、少しでも何か行動できないかと考えたんですね。でも凍りついた心では、復興は無理だと否定的な思いにしかならなかったです。
そんな時、5月に聖霊降臨節(ペンテコステ)の集会に行きました。祈りの中で、私はある方が語っていた言葉を思い出しました。「自分が何かするのではない。まず聖霊を受けるんだ。魂が生命に満たされるなら、その喜びで何かができる」と、その言葉がストンと入ったんです。
その集会の祈りはすごく、渦を巻くように天に昇っていくのを感じました。私も我を忘れ、時間も忘れて祈りつづけていたのです。気がつくと、凍りついていた心が、一気に解かされていました。
その体験を通し、復興は成っていくと、すべてを肯定できる魂に私は変えられたのです。9月に降った豪雨によって、災害が再び能登を襲いました。1週間後、輪島に駆けつけると、まだ泥でドロドロなんです。
地元の人は、「地震以上に豪雨で心が折れた」と嘆いていました。それでも私は、皆を励ましたい。あの集会の祈りによって、内側から力がわくからです。
すべてを超えて働く聖霊
孝市 地震や豪雨で亡くなった方、痛みを負った方が多くいる時に、聖霊に満たされた者の祈りを能登が必要としていると、私も思うようになりました。
昨年、100人近い方が輪島に来て、賛美歌を歌い祈られました。それを通し、夢で手島先生に言われたように、私は能登半島に霊的な種を蒔(ま)く者の一人なんだと、使命がハッキリしたんですね。
美千子 私たちがキリストに祈る時、宗教宗派、環境や状況を全部超えて聖霊は働くと思っています。そしてひとしく能登の人に聖霊の力が注がれたら、それぞれに霊感を受けて復興活動が始まるんじゃないか、と。
天に帰った魂も、「元気を出せ、頑張れ」って励ましてくれるなら、悲しんでいる人や落胆している人たちにも、物質的な復興だけではなく、魂の復興になっていく。そう思われてならないんです。
作品展で復興を願う
今年、具体的な活動も考えています。少しでも地元の復興につながればと、輪島で蒔絵の作品展をしたいと思っているんです。
地元の職人さん方に、輪島塗の漆器の仕事を続けてほしいとの願いを込めて、蒔絵でかいた虹色に輝く復興祈願の絵を制作しています。
その絵には、聖書の言葉ヘブライ語で文字を書き込みました。旧約聖書の預言者エレミヤの、「荒れて、人もおらず住む者もなく、獣もいない町に、再び喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声が聞こえる。それは、わたしがこの地を再び栄えさせて初めのようにするからである、と主は言われる(要約)」という預言の言葉に、私の思いを込めた作品です。
昨年は心が凍りついて、何もできなかった私に、聖霊に満たされた時から、積極的な祈りと行動を起こす力が与えられました。
今年は希望をもって、能登を励ましつづけたい。そして、キリストの生命に渇く魂との出会いも願いつつ、夫婦で祈りつづけていきたいと思っています。
本記事は、月刊誌『生命の光』862号 “Light of Life” に掲載されています。