若いひとの声「今スタートラインに」
ぼくは今、「世界」を体感しています!
森下啓慈(けいじ)
かつて台湾の首都として栄えた台南市。歴史的建造物が残っていて、風情が感じられる町並みは、京都のようだといわれます。ここにある国立成功大学で政治学を勉強している、森下啓慈さんを紹介します。(編集部)
Q1
森下さんが通っている成功大学はどんな大学ですか?
「世界大学インパクトランキング2020」でアジア2位と評価されていて、台湾でも有名な大学です。キャンパスには、昭和天皇が皇太子時代に行啓され、植樹されたガジュマルの樹があり、今では大学のシンボルになっています。その樹が大切にされていることからもわかるように、こちらでは日本統治時代をよかったと思っている人が多いです。ですから、日本人のぼくに、とても親切にしてくれます。
Q2
台湾はどんな所ですか?
とても親日的な国で、気候も暖かくて過ごしやすいです。食事には最初は苦労しました。マンボウやカエル料理にはビックリしました。
Q3
日本にいた時の自分とは何か変わりましたか?
今でも自信なんてないですが、でも性格は変わったと感じます。自分でも驚くくらい積極的になりました。海外で生きていると強くなりますね。
お試しから本気へ
台湾に来た当初は、大学に行きたいとは思っていませんでした。
日本で志望した大学に合格することができず、浪人するか迷っていたんです。そんな時に父の勧めもあって、見聞を広めるために、幕屋の人がいる台湾にやって来ました。
ですから、3カ月間の「お試し留学」だったんです。でも現地の方たちに触れ、台湾を知るうちに、ぼくの心は変えられました。
中国語を学び、少しずつ聞き取れるようになると、台湾の幕屋の皆さんが、ぼくの勉強のために祈ってくださっていることがわかったんです。
また、幕屋の信仰をもって生きられた台湾の方々のお墓に行った時のことでした。ぼくはその方々と面識はありません。でも墓前で手を合わせていたら、「次の時代を頼むね」と言われているように感じたのです。
後で聞いたのですが、その台湾の方たちは、若い世代に幕屋の信仰が継がれていくことを祈りつづけておられた。日本から若い人が中国語を勉強しに来てほしい、と願っておられたそうなのです。
ぼくは、この留学は自分個人の願いだけではない。先人たちの願いと天の計画の中に組み込まれている、と感じました。そして、もっと中国語を勉強したいと願い、現地の大学を目指そうと思ったのです。
「お試し留学」から「本気の留学」に変わりました。
当たり前じゃないんだ
ぼくが勉強している大学には、海外からの留学生が多くいます。ですからぼくの友人は、アジア人はもちろん、南米人などさまざまなんです。
海外に出てみると、日本にいる時には感じることができなかった、「世界」を身近に感じます。
たとえば、ぼくのルームメイトは香港の大学から来た学生です。香港で卒業間近だったのに、昨今の情勢不安のため大学が閉ざされてしまって、この大学に編入してきたのです。
彼の話を聞いていると、ニュースなどで報道されていることだけではない、香港のとても複雑な情勢に驚かされます。
また国の情勢が自分の学業に直に影響する、このようなことは平和な日本では考えられないですよね。
ですから、自分はほんとうに恵まれた国に生まれて、育ってきた。それは当たり前のことじゃないんだなと、強く思わされるのです。
ぼくってこんな人だっけ?
大学に合格して、「さあ、これからだ」と希望いっぱいで授業に出ましたが、中国語での授業の内容は、さっぱりわかりません。
ある授業では毎講義、生徒たちでディベート(討論)する時間があり、発言をしないと単位がもらえないのです。もともとぼくは人前で話すことが苦手だし、しかも中国語でと思ったら、すごいプレッシャーでした。
ぼくは高校時代に部活の仲間の間でつらい経験があって、それから自分の思いを抑え込んでしまう性格になってしまいました。この時もネガティブな面ばかりを気にして、大学で勉強を続けるのは無理かも、と思いはじめていました。
ぼくはキャンパスの一角で手を合わせて、天に心を向けました。すると、涙が止まらなくなったのです。
「わたしが一緒にいるから、大丈夫だ」と神様から言われたようで、体の内側から力がわいてきました。そして、「何度でも挑戦しよう!」と意欲がわいてきたんですね。
それから、「ぼくはこんな人間だったっけ?」と、自分でもびっくりするくらい、積極的になれました。身ぶり手ぶりを使ってでも、ともかく自分の意見をはっきり言えるようになりました。
結局、その授業の単位は、半分合格という結果でした。以前のぼくなら、そこで諦(あきら)めていたと思います。でも今のぼくは、「絶対に諦めない、何度でも挑戦する者」です。
もう半分の単位は、大学3年目となる次の学期で、必ず合格を勝ち取ってみせます。
人は二度死ぬ
こちらに来て忘れられない体験の一つが、バシー海峡戦没者慰霊祭に参加したことです。
現地に立って、バシー海峡は日本にとって、中東や東南アジアとの間を結ぶ重要な航海路であると教えてもらいました。
大東亜戦争では日本の輸送船の多くがここで撃沈され、20万人以上の犠牲者が出たといわれています。遺族が始めた慰霊祭を、現地の台湾の人たちが大事にして、続けてきてくださったのです。
慰霊祭で、「人は二度死にます。一度目は肉体が死ぬ時、もう一度は、人々の記憶から消えた時です」と話されたことが、ぼくの胸に残りました。そして、多くの方が眠る海を眺めながら、日本の未来のために戦ってくださった先人の方々への感謝を込めて、手を合わせました。
台湾に来るまで、バシー海峡のことは知りませんでした。日本の大事な歴史を知り、ぼくが今、台湾で勉強できているのは、かつて大きな犠牲が払われたからだ、と強く思ったんです。
ぼくは、この慰霊祭に参加したことを、一生忘れません。
夢は東アジアに
台湾へ留学に来て、ほんとうによかったです。勉強だけでなく、人や歴史に触れる体験を通して、日本にいる時より数倍のスピードで自分が成長していることを感じるんです。
こちらに来て、将来の夢も与えられました。ぼくは政治学を専攻していて、特に東アジアの国々について学んでいます。
紛争も絶えず、貧富の差が大きい東アジアでは、「民主主義」といっても国々で定義はさまざまですし、そもそも「国」の定義も違います。
台湾に来ていなかったら、ここまで世界を肌で感じることはなかったと思います。
今は「これだ!」と、はっきりとした答えがぼくにあるわけではありませんが、アジアにおける日本や日本人の役割は大きいと思っています。
スタートラインに立ったばかりのぼくですが、将来は東アジアの国々のために働きたいという夢があります。暗く過ごしていた高校生の時を思うと、考えられないような夢です。
自分を変えたい君、将来に不安を感じている君、台湾へ来て、一緒に勉強しないか!
本記事は、月刊誌『生命の光』822号 “Light of Life” に掲載されています。