信仰の証し「数学者の熱情」―毛利 出
静岡大学の理学部数学科教授の毛利出(いずる)さんは、非可換代数幾何学という分野の学会をリードしておられます。お話を伺いました。(編集部)
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私には、今日まで信仰をもち、神様の御声に導かれてきて、「恵まれたなあ」という感謝があります。信仰があるから、リスクを恐れない。そして、自分では計画していなかったようなことが起こってくることを、経験してきました。
数学は真理の解明
数学の世界というのは、真理の解明であり、真実かそうでないかがはっきりしています。
そういう意味では非常に厳しい世界で、新しい分野を切り開くには、一か八かの賭けに出て研究を進めなくてはなりません。もし、定義が間違っていれば、そこで研究者としては終わりとなります。
たとえば歴史の研究の場合には、同じ分野でも違った考えで争う人があったり、また、他の自然科学の分野では、新しい発見があるたびに理論が修正されたりします。
けれども数学は、一度証明されたことは、地球が滅びても変わることがない事実として残っていきます。そして、何百年、何千年も前に解明された数式などが、時を経て現代のスマートフォンやパソコン、AIの技術として、応用されていくのです。
「我思う、ゆえに我あり」という言葉で有名なデカルトは、信仰篤い数学者でした。彼が確立した「座標」という概念は、天体の研究に影響し今、私たちが利用するGPSなどの技術となっています。
神様の御声に導かれる
私が数学者の道を選んだのは、若い時に、祈りの中で神様の御声を聞いたことが始まりです。
私は小学生の頃から算数が好きでしたけれども、初めから数学者になろうと思っていたわけではありません。月日を経て、視野を広げるためにアメリカのワシントン大学に留学していた時のことです。キリストの神様に祈っていると、ものすごい力に打ち倒される経験をしました。
その時に、「おまえは、一流の数学者となるのだ」という御声を聞いたのです。その御声は、今に至るまで私を導きつづけてくれるほど、驚くべきものでした。
でも、それがいかに大変な道か、後になってみないとわかりませんでした。博士号を取ることもそうでしたが、私が研究している非可換代数幾何学は始まったばかりの新しい分野で、アメリカでは何年もの間、仕事があったりなかったりでした。結婚して家族もいましたが、とてつもなく貧しい暮らしをしていました。
長期で仕事がないということはなかったけれど、非常勤講師などをしていたので、毎年、夏休みの3カ月くらいは仕事がありません。その間は保険がきかないので、子供が病気になっても病院にすら行けませんでした。
それに1年ごとの契約ですから、家ももてません。留守を預かるという形で人の家に住むなど、転々としていました。日本のように布団がないので、ずっと家族みんな寝袋での生活でした。
天に聞く心でいると
それでも、数学者の道を途中でやめようとは思わなかったですし、自分に才能がないといったことは、全く考えませんでした。ただひたすらに、最初に聞いた神様の御声に従ってきました。それは私にとって、神様との約束なので、諦めるという考えはなかったのです。
いろんな大学に送った履歴書は、延べ600通以上あります。それほどアメリカでは仕事がなかったですし、非可換代数幾何学という分野は当時、脚光を浴びることはありませんでした。
それが不思議なことに、静岡大学からオファーが来たんです。さらに、帰国すると日本では「この分野は面白い」と言う人がいっぱい出てきて、いろんなところで引っ張りだこになりました。
研究者としては、ほとんど風前のともしびだったのに、「この分野では、毛利を呼ぶしかない」となったわけです。これは、自分の実力ではないですね。
世の中には優秀な人は山ほどいるし、一生かけても追いつくことのできない学者もいます。天才と呼ばれる人たちに囲まれながら、私が生き残っているということは、常識では考えられません。ただ、私は神様に御声をかけられた、その御声に従ってきただけです。
そして、いつも神様は答えを用意されている。それを天に聞く心でいると、何げない時に、ブワーッと湧いてくるものがあって、研究を進めることができるんです。
この程度では終われない
ここまで導かれてきたことも、奇跡の連続でした。けれど、これで終わりじゃないですね、「一流の数学者」というのは。もしかしたら、まだ始まってもいないかもしれない。それくらい、キリストから与えられた使命は大きいものだと、私は感じています。
聖書の人物でも、歴史においても、神様の声を聞いて、その声に聞き従って偉大なことを為した人が多くいます。そういう意味で、私はキリストの生命を受けて、神様の御声をかけられたというならば、この程度では終われない、という思いが強くあるわけです。
数学は真理の解明と言いましたけれども、この地上にはまだ存在しない真理が、神様の御もと、つまり天にはあると信じています。ですから、それを地上に現すような研究をしたいんですね。
自分の好きなことができるのはいいことです。けれど、自分に与えられた使命を自覚して生きるのは、もっと素晴らしいことです。
この先のことはまだわかりませんが、私は神様から与えられた使命をもって、新たな道を切り開きたいですね。
やかんに水を入れて火に5分かけるのと、やかんを火に5分かけてから水を入れるのとでは結果が異なる。現実はそのように、交換不可能(非可換)なことで満ちている。一般に数式の世界では、xy=yx のように掛け算の順番は交換できる。しかし、現実の世界で交換可能なことは、むしろ珍しい。
この写真は毛利さんが取り組む研究で、高次元非可換座標の断面をとることで、低次元非可換座標に落とし込む数式。または、時間と空間の非可換性に関する基礎理論を研究するもの。
本記事は、月刊誌『生命の光』797号 “Light of Life” に掲載されています。