神に聴く預言者のごとく
―李登輝元台湾総統を偲んで―
『生命の光』誌編集員・長原眞
去る7月30日、台湾の李登輝元総統が逝去されました。
1996年、台湾で初めて総統の直接選挙が行なわれた時、中国政府は李登輝氏の当選を阻止すべく、ミサイルを発射して威嚇(いかく)しました。けれども、李登輝氏はそのような恫喝(どうかつ)に屈することなく、堂々と所信を述べて当選し、台湾の民主化を強力に推し進めました。
李登輝氏は、クリスチャンで聖書を愛読しておられることは、よく知られています。権力闘争の渦巻く政治の世界で、国民党政権による一党独裁に終止符を打ち、民主化を成し遂げた背後には、聖書の信仰があると、私には思えてなりませんでした。
2002年、マングローブの生い茂る淡水河口の近くにある台湾綜合研究院に李登輝氏をお訪ねし、インタビューしました。
李登輝さんは『生命の光』を読んでおられ、お会いするなり、「『私たちの信条』には共鳴します。私が大好きな箇所は、『私たちは、日本の精神的荒廃を嘆き、大和魂の振起を願う』という件(くだり)です。大和魂をもったクリスチャンでないといけない。これは普通のクリスチャンは言わない。私はどんなに忙しくても『生命の光』を読んでいます」と流暢(りゅうちょう)な日本語で語られます。
常のインタビューでは政治的な話題が多いでしょうが、信仰をもつに至ったきっかけをお聞きすると、「このような信仰の話をすることはうれしい」と満面の笑みを湛(たた)えて語られます。
祖母の死を通して、人生とは何か、生死とは何かを真剣に問うた青年時代。話題は、新渡戸稲造の『武士道』やカーライルの『衣裳(いしょう)哲学』、西田幾多郎の哲学に及びます。私は、西田哲学を読んだことがなかったので、自分の素養のなさを恥ずかしく思いました。
求めつづけて、ついに発見したキリストの愛。洗礼を受ける前夜、キリストは李登輝さんに「60歳になったら、わたしのために働いてくれるか」と言われた。
李登輝さんは、「聖書に、『一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん。もし死なば、多くの果を結ぶべし』とあるように、イエス・キリストの十字架の死と復活により、私たちに救いの道が開かれました。聖書の信仰は、死して初めて生がわかる。死を見つめたところから生きる意味が出てきます」と言われます。
「己を捨てて生きる」、その宗教的真理は、李登輝さんの政治哲学となりました。
「国をリードする人は信仰をもつべきです。総統というものは孤独です。誰も助ける者がいない。寂しいです。だが、ただ一人助ける者がいる。それは頭上の神です。一国の運命を左右する孤独な戦いにおいて、きちっと立ってゆける信心が大切です」
政治的な野心のなかった李登輝さんに託された台湾の命運は、聖書と祈りによって導かれてゆきます。
キリストの福音を伝えるという夢は実現しませんでしたが、十字架を背負ってでも台湾のために、そして次の世代の子供たちのためにやろうとする熱情と愛、それは聞く者に痛いほど伝わってきます。
400年間、自分の政府をもったことのない台湾人が、自国の歴史、文化、地理、社会を十分に把握して、アイデンティティーを確立する。そういう人たちが75パーセントになれば、多民族国家・台湾は一つになる。それが李登輝さんの抱いた壮大な夢でした。
イスラエルの出エジプトの大業を成し遂げた預言者モーセのように、李登輝氏が夢みた「約束の地」は、その志を継ぐ者たちの手によって獲(え)られるでしょう。
2004年「幻の講演会」
李登輝さんは2002年に、講演のため日本の大学の学園祭に招かれたが、日本政府からビザが発給されず来日できなかった。
そこでお話しされるはずであった「幻の講演」の内容をお聴きするために、キリストの幕屋の20~30代の若手が台湾を訪ね、李登輝さんにお会いした。
2009年「台湾に日本精神を尋ねる旅」
キリストの幕屋の中高生が、「台湾に日本精神を尋ねる旅」として台湾を訪れた。その折り、特別な計らいで李登輝元総統にお会いし、講演していただいた。
ご自分の人生を回顧しながら、聖書の信仰・国が発展するための条件・日本精神など、中高生にも親しくお話しくださった。