随想「神の声を『聞く』とは」
内藤大吾
「すると神様の声が聞こえたんです」
「キリストの御声が魂に響きました」
えっ? どういうことですか?
本誌では、このような表現をよく目にします。ある人はひと言を突然はっきりと聞いたり、ある人は日々その声に導かれたりと、状況はさまざまあるようです。
しかしその人たちに共通していることは、みな確信に満ちており、経過はどうであっても最後は天に昇るような喜びを発見している、ということです。
「声を聞くことなんて、ほんとうにあるのかな?」
ちょうど20年前、カナダ・バンクーバー幕屋の集会に通いはじめたばかりの中学生の私は、そう疑いました。そして、「私でも祈れば、神様に声をかけていただけるのかな」とあこがれました。
その日はついに
可もなく不可もない、平凡な中高生時代も終わろうとしていたころ、明治維新胎動の地・萩(はぎ)で幕屋中高生の集まりに参加しました。日本史に疎い私は吉田松陰のことを、念仏を唱えられる馬のように聞いていました。
しかし、吉田松陰や弟子たちの心を燃やした「志」の一文字は神秘的な輝きを帯びて私に迫ってきました。これが私にも与えられたら、人生が変わるのでは? 「私にも、心を燃やす『志』を与えてください!」という願いが、ふつふつと私の中にわいていました。
その会の中で中高生の皆と祈り、場が白熱したころ、「医者」という御声というか、思いが、かき消せないほどはっきりと心に刻みつけられました。
いわゆる鼓膜に響く音声ではありませんでしたが、「その声も聞えないのに、その響きは全地にあまねく」(詩篇19篇3~4節)とあるように、そのひと言に込められた、量り知れない意思を感じました。
それまで苦手としてきた理系の教科で茨道(いばらみち)かと思いきや、「医者」という御声に向かって勉強していると自分でも驚くほど気力がわき、結果が伴いました。いい大学に進学し、主席で卒業し、「これは神様の導きでしかない!」と、確信と喜びが増していきました。
信仰は失っていない、でも……
しかし、いよいよ医者になるための試験を受ける時、何もかもがうまくいかなくなりました。カナダでは年に1度しか行なわれないその試験に2回、3回と落ち、目標が一気に遠のいてしまいました。
「神様、『医者』という御声は私の聞き違いだったのでしょうか」と、落ちるたびに確信が揺らぎました。
数年後、ついには自信や挑戦しつづける気力さえ失ってしまいました。私は別の仕事に就き、そこそこの稼ぎを得てやりがいも感じ、順調に生活を送れるようになりました。
信仰に生きる喜びは、失っていないつもりでした。悩みがあったら神様に祈り、いいことがあったら感謝する日々。でも、ただがむしゃらに御声に従って生きていた時のように、グングンと信仰の器が広がっていくような感触はありませんでした。
声に宿る御思い
そんな時、かつて北米で伝道していた方より一通の手紙が届きました。「日本に信仰を学びに来ないか」という誘いでした。「神様の御声に従う喜びを、もう一度体験したい」と思いつづけていた私は、意を決して東京へ行きました。
その半年後、私は九州各地で伝道されている方々に同行する機会を与えられました。それからの日々で目撃したのは、祈りによって不遇な境涯や不治の病からたち上がる人たち……。自分の力では拭えない痛みを、キリストがじかにいやされる現場でした。
何者でもない、ただその場に居合わせただけの私にも、その方々が涙ながらに感謝されました。
「え? 私は何も……」と戸惑いつつも、私ももらい泣きして、感激の涙を流していました。
そうしているうちに、初めて「医者」という御声を聞いた時の感動が、私の心に再びよみがえりました。
「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である」(ルカ福音書5章31節)と言われたように、救いを求める人を、キリストは見放されません。
高校生の私に語られた御声は、決して消えたのではない。この時から、「魂の医者・キリスト」を伝える人生を目指すようになりました。
神の声に信じて身をゆだねる時に初めて、その声に宿る御思いを知ることができます。御声を聞く喜びを、私も生涯をかけて味わっていきたいです。
内藤大吾(34歳)
20年前に幕屋に出合い、10年前に来日した日系カナダ人2世。本誌では、デザインや撮影を担当。
本記事は、月刊誌『生命の光』842号 “Light of Life” に掲載されています。