クリスマスに寄せて「扉を叩いているのは?」
内藤大吾
何百人も入る教会堂の、ステージの中央には、クリスマスツリーに見立てた高さ十数メートルの、豪華な合唱団の足場。そして、百何十人もによるクリスマスキャロルの大合唱。周りには聖誕劇のための煌(きらび)やかなセット。
これは私の生まれ故郷カナダ・バンクーバーの、地元では有名な聖誕劇コンサートの光景です。私の家族はクリスチャンではありませんでしたが、このコンサートは毎年家族で観に行きました。
しかし私がハイスクール(中等学校)に上がったころ、それどころではない状況になりました。父ががんと診断されたのです。余命1年。次のクリスマスを迎えられるかどうかもわかりません。
病の進行が速く、現代医学では全く太刀打ちできませんでした。藁(わら)にもすがる思いで試した、迷信じみた治療法やさまざまな宗教は、無力でした。見る見るうちに、父はやせ細っていきました。
亡くなる3カ月前のことです。私たちはついにキリストの幕屋に出合いました。その時はとにかく「父を、いやしてください!」と訴えることしか、私にはできませんでした。
けれども祈りの日々の中で、父の心には変化が訪れていました。あれほど死を恐れていた父が、どんどん安らかになっていくのです。自力で歩けなくなっても、欠かさず幕屋に通いつづけました。
いちばん深い意味
2カ月が過ぎた、12月のこと。例年のようにコンサートに行く心の余裕は、もちろんありませんでした。幕屋でクリスマス会があって、「あ、そんな時期だったんだ」と気づくほどでした。
それは大きなステージや合唱団もない、いちばん近くのシアトル幕屋の人たちと集ったささやかな祝会でした。そこで、1973年12月25日に召天された手島郁郎先生が、亡くなる数週間前に語られた音声を聴きました。
「今日だけじゃない、いつも、扉をたたいて入りたがっておられるキリストを、自分の心の中に、また家庭に迎えまつることができるように。キリストをお迎えすること、これがクリスマスのいちばん深い意味です」
父はその場に座ることすらできず、横たわって聴いていました。それでも集会での祈りと、その後の手作り感あふれる余興の和気あいあいとした雰囲気を、とても喜んでいました。
当時の私には、父の気分や体調など、目先のことしか見えていませんでした。しかし父は、死の先に広がる永遠の世界を見据えていました。そして、自分の家族を託すべく、幕屋の愛の雰囲気をじっと見つめていました。父は帰り際にひと言、「幕屋に来てよかった」としみじみ言いました。
よほどうれしかったのか、父はその時のクリスマス会を録画したホームビデオを、亡くなるまで何度も何度も繰り返し観ていました。
家庭の中に
その数日後、私にも変化がありました。12月27日、父が今生の別れを覚悟して送り出してくれた、幕屋若人の泊まりがけの集まりで、コンバージョン(回心)を体験したのです。
波のように押し寄せてきた聖なる息吹が、私の不安や恐れをすべて洗い去ったのです。それまで父がいやされることだけを願っていましたが、私の心はキリストを迎えた喜びで満ちあふれました。ずっと心の扉をたたきつづけてくださった神様に、私もやっと気づいたのです。
そして瀕死の父のもとに帰り、「コンバージョンしたよ」と伝えました。私の姿を見た父は、息も絶え絶えに「(大吾は)変・わっ・た」と言って喜び、共に神様に感謝しました。
家庭の中にキリストをお迎えした時でした。
それから12日後、父は亡くなりました。悲しみの涙を流すはずだった葬儀は、キリストへの感謝に涙する場とすっかり変わりました。
クリスマスを迎えるのに必要なのは、派手な飾り付けや豪華な大合唱などではない。ほんとうに大切なのは、その傍らでかき消されてしまっている、キリストが扉をたたく音を聞き分けること。
今でもこの時期になると、心の耳を一層そばだてます。
プロフィール
33歳。8年前に来日した日系カナダ人2世。日本語も勉強中の『生命の光』誌編集見習い。
本記事は、月刊誌『生命の光』826号 “Light of Life” に掲載されています。