エッセイ「季節外れのクリスマスソング」

奥田真光

中学生の三男は、よく歌を口ずさみます。それも、普通ならその季節には合わない曲もあります。暑い夏の真っ最中、「きよし このよる……」と、急にクリスマスソングを歌いだしたことがありました。私が「クリスマスの歌だね」と伝えると、笑顔を返してくれました。歌が出ることは、体調がいい証拠でもあります。

三男が胎内にいる時から、「障害をもって生まれてくるかもしれません」と医師から伝えられていました。実際、重症心身障害児のため、言葉での意思表示は難しいです。

ですから、どんな思いで選曲しているのか、私にはわかりません。ただ、その時に何かを伝えたいと思っているのは感じます。歌は、なくてはならない自己表現になっているからです。

子供は問題なく普通に生まれてくるものだ、と思っていましたので、医師からの一言は、なかなか受け止めきれませんでした。家内は胎内で動く子供を感じますからなおさら、心の痛みは私以上だったと思います。

それから、天に祈る日々が続きました。このことをどう受け止めたらいいのか、ただそれだけを祈っていました。数週間、祈りつづけましたが、心の解決にまでは至りません。

でも「神様、人間の力ではもう、どうすることもできません」と祈った時、「託す」との声が私の内に響いてきました。細き声でしたが、しかしそれは、腹から喜びが突き上げてくる体験でした。

この一言で、私の心が一変してしまったんです。「天上にいる大事な魂を、おまえたち夫婦に託す」 ということだと悟ったからです。

外側はどうであれ、神様が愛してやまない魂を、預けてくださる。それまでは、ただ苦しいだけの祈りでしたが、家内も私も、感謝の心で出産を迎えることができました。

そして家内には、夢の中で信仰の先輩が現れ、聖書の言葉をもって励ましてくださいました。

まだまだ未熟な私たち夫婦ですが、神様は信頼してくださっている。そんな思いが心の内に広がりました。

現実は、三男がうまく意思表示できないので、体調が悪くても、私は何が原因か酌み取れないことが多くあります。そのため、入退院を繰り返してしまうことも。ベッドに横たわっている姿を見ながら、心痛めたことが何度もあります。

でも嘔吐症(おうとしょう)で入院した際は、えずいて声を出すこともつらいはずなのに、キリストの御名を賛える歌詞をワンフレーズ口ずさんだことがありました。

私は驚きました。その賛美歌は、入院前に幕屋の日曜集会で歌われたものでした。無意識かもしれませんが、彼の中では、その時に感じた喜びが忘れられなかったんですね。体調がきつい中にあっても、また喜びの場に戻りたい、という思いが伝わってきました。

12月は、三男の誕生月でもあります。この月になると、あの「託す」との声を思い出します。光を見いだせないでいた私の心を開き、希望を与えてくださいました。

なぜか私が落ち込んでいる時に限って、息子は賛美歌を歌います。その歌声が私の慰めになっています。


本記事は、月刊誌『生命の光』861号 “Light of Life” に掲載されています。

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