エッセイ「主は来ませり」
佐藤佳子
【賛美歌『もろびとこぞりて』を聞きながらお読みいただけます】
年を取って体が動かなくなっても、できれば自分の家で最後まで暮らしたい、とはだれもが思うことです。そのお手伝いをするのが、訪問介護です。私はヘルパーとして毎日、数軒のお宅に伺っています。
長い人生を過ごす中でいろいろな経験を重ねてこられた方たちですが、あれもこれもできなくなったと嘆き、心が暗くなり、不安を抱きながら生活しておられる方も多いのです。
介護保険を利用してのサービスでは、短い時間の訪問ですし、宗教への誘いになるような話をしてはいけないなどと、いろいろな制約があります。けれども、ほんのひとときでもこの方の中に光が射し込みますように、と祈りつつ一軒一軒お訪ねしています。
その中で、忘れられない出会いがありました。
96歳になるそのご婦人は、もう歩くことが難しく、車いすで移動するか、ベッドに横になったままの毎日でした。お部屋に入ると、CDプレーヤーから賛美歌が流れ、本棚には聖書がありました。その方の家は3代続くクリスチャンだそうで、教会にも毎週、行かれていたとのこと。今は教会に通えなくなったことが悲しくてならないと、小さな声で話されました。
「賛美歌を歌いましょうか?」とお聞きすると、「『もろびとこぞりて』を」と言われます。クリスマスによく歌われる賛美歌です。
それでは、と歌いました。
もろびとこぞりて むかえまつれ
ひさしく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は主は来ませり
すると一緒に口ずさみ、アルトパートを歌われます。
毎週通っても、次の時には「あなたはどなたでしょうか? どうして私のところに来られるのですか」からの始まりです。そして決まって、『もろびとこぞりて』を歌ってくださいと言われるので、何回も「主は来ませり、主は来ませり」と一緒に歌いました。時には車いすで外にお散歩に行き、道すがら賛美歌を一緒に歌いました。
数カ月たったある日、お訪ねした最初は「あなたはどなた?」なのですが、時間がたつと「あなたはキリスト教の方ね」と思い出してくださいました。そして、新約聖書のマタイ福音書の「主の祈り」が、口をついてするすると出てきます。それでそれからは、毎週「主の祈り」を読んで祈り、『もろびとこぞりて』を歌いました。
ある日、息子さんが大学生の時に事故で亡くなったことを話しはじめられました。ご主人にも、また娘さんにも先立たれて、自分は独りで寂しいと泣かれました。私もたまらない思いになって、息子さんの名前をお聞きして、息子さんのために、ご家族のために、その方のために祈りました。その方も一緒に主の御名を呼んで祈られました。そして、「今日は最良の日でした」と涙されました。次の週も次の週も一緒に祈り、そして真夏の暑い日も秋の日にも、「主は来ませり、主は来ませり」と歌いました。
職場を変わることになって、最後の日のことです。
私が帰る時、いつもはベッドに横になられたままなのですが、その日は「起こして車いすに乗せてください」とお世話の方に言われます。私は「今日はもうお散歩には行きませんよ」とお伝えすると、「あなたを玄関まで見送りたい」と言われました。
小さな部屋のたった2人の祈りの場にも、キリストがやって来られて、寂しい心を慰めてくださることをありありと体験しました。
今年もクリスマスを迎えます。キリストの神様、私たちの中にやって来てください。
常暗(とこやみ)の世をば てらしたもう
たえなるひかりの 主は来ませり
主は来ませり 主は主は来ませり
本記事は、月刊誌『生命の光』2020年12月号 “Light of Life” に掲載されています。