友を訪ねて「純粋すぎる人」
田村望聖(もうせい)
トルストイの作品の一つに、ロシア民話を題材にした、「イワンのばか」があります。イワンの人物評は、ばか正直、お人よし、愚直、聖者など評価が分かれます。皆さんの周囲にも、その人柄をひと言で表すのが難しい人物がいないでしょうか。千葉県に住む友人、田村望聖さんはそんなお一人です。(聞き手 山口卓也)
「イワンのばか」あらすじ
昔々、ある国の田舎に、3人の兄弟がいました。2人の兄は家を出て、長男は軍人、次男は商人になりました。三男のイワンは家に残って百姓をして、背中が曲がるほど精を出して働きました。
ある日、悪魔がこの兄弟を不幸にしてやろうと悪巧みをします。軍人の長男は権力の誘惑で、商人の次男はお金の誘惑で破滅しますが、心が清く幼な子のようなイワンには、悪魔の策略も効きめがありません。破滅するどころか、イワンのおかげで病気が治ったお姫様と結婚し、なんとその国の王様になります。そして、だれもが幸せに暮らす国をつくりました。
自分では至って真面目に話しているのに、笑われることがあります。たとえばですね……昔の話ですが、聖地イスラエルの旅行中、友人に引っ張られて行ったディスコで踊っている時、イエス・キリストに出会って、感激で涙が止まらない体験をしました。この話も、みんな面白がって、本気にしてくれません。
若いころから、どんなことでも一生懸命にやってきたつもりです。でも、的外れと言われたり、誤解されたりで、もどかしかったです。
十字架はだれかのためでなく
高校2年生の夏休みに参加した、2泊3日の幕屋の聖会で、今も忘れられない体験をしました。
1日目に教えていただいたのが、「イエスは主なり」「マーラナサ(主よ来たりたまえ)」「ハレルヤ(主を誉めたたえよ)」と祈ることです。無我夢中で何度も何度も唱えるうちに、自分の祈りが変わってきました。頭で考えた言葉で祈るのとは違う、口からというより、おなかから噴き出てくるような祈りでした。
2日目、朝の集会が終わっても、私はもう少し祈りたいなあと思って、宿舎で一人祈っていました。すると突然、十字架上に御血汐(おんちしお)を流しておられるキリストの幻が迫ってきたのです。「わたしはおまえの魂を救うために、今もこうして十字架にかかっている」と声が聞こえました。キリストの十字架が、大昔のだれかのためでなく、自分と直接関係のあることなんだと知って、涙がバアーッと出てきて止まらなかったです。
その日、午後からは富士登山をしました。満天の星の下を歩き、翌朝、雲間から昇る朝日を山頂から見た時の清々(すがすが)しさは、忘れることができません。
人には当たり前のことでも
毎朝、祈ってから仕事に出ていますが、この祈りが力となり、仕事などの現実生活に現れることを願っています。でもまあ、ほんとうに要領の悪い人間ですから、情けなくなることが多いです。一方で、ありがたいなあと感じる、こんな出来事もありました。
納期に間に合わせるために、ある作業を効率化する必要がありました。「神様、教えてください」と祈っていると、「ああっ!」と思いつくことがありました。役割を分担して、皆で一斉にその作業を進めればいい。そのために、私が一人でやっていた通常の発送業務を、皆に協力してもらって先に済ませばいいんだ、と。
それを提案してみると、上司が采配(さいはい)を取ってくれて、無事に納期を守ることができました。
「そんなの当然の判断だよ」と周囲の人は言いますが、人には当たり前のことでも、私には神様が教えてくださったとしか思えなかったんです。
田村さんと接していて驚くのは、人を悪く言うのを聞かないことです。たとえ自分が人からいろいろ言われたとしても、です。
「人を悪く言ったことがないなんて、そんなことないですよ。それに、いろいろ言われても当然だって、心底思っているんです……。私は今、56歳です。職場全体のことを見るのが普通です。でも私は不器用な人間ですからね、自分のことで精いっぱいで……。失敗の多い私を使ってくれる会社には、感謝しかないです。助けてもらっている周囲の皆さんにも……」
そう言って、イワンのようにはうまくいかない現実を語る田村さん。ですが、決して悲観的でなく、目には力がこもっています。
「足りないところばかりの私です……ただ、ただですよ、山口さん!」
急に声が大きくなった田村さんが、私に顔を近づけ、手を振りながら話を続けます。
「だからこそ、私は毎日神様に祈っています。耳を澄ませていると、御声が聞こえてくることがあります。耳に聞こえる日もあれば、心に感じる日もあります。ありがたいですよ。どうか山口さんも、自重自愛してくださいね。私たちは何者でもないけれど、キリストに愛されている尊いお互いですよね」
私を慰め、奮起させる田村さんの言葉。一緒にいると胸が熱くなります。
話を聞く限りでは、正直なところ、失敗も多い人。でもその清い人柄は、人の心を惹(ひ)き付ける。言葉以上に人格が物を言う人。
ご家族にも、それがよく伝わっているんだなあと、リビングでの団欒(だんらん)にお邪魔しながら感じました。
本記事は、月刊誌『生命の光』852号 “Light of Life” に掲載されています。