次の世代に語る「決してなくならないもの」
上野勝子
今年も終戦の日を迎えます。子供の時に先の戦争を体験した上野勝子さん(88歳)が、当時のようすや、敗戦の痛みの中から原始福音の信仰に出合った思いなどを、若い人たちに語りました。(編集部)
おばちゃんの両親はね、東京の両国で食堂を経営していたの。近くには国技館があって、お店にはいつもお相撲さんが食べに来ていたのよ。外には芸者さんやチンドン屋さんもたくさんいて、とにかく賑やかな町で育ちました。
昭和16年(1941年)12月に大東亜戦争が始まった時、私は国民学校1年生(現在の小学1年生)で、まだ幼かったけれど、戦争の知らせが入ると子供たちに蝋燭(ろうそく)が渡されてね、緒戦の勝利を祝って提灯(ちょうちん)行列をしたのを覚えています。
諦めなさいと言われても
でも戦争が長引くにつれて町の雰囲気は変わり、近所のお兄さんたちは次々と戦地へ行ってしまいました。
どこの家も食べる物に困って、生活は大変だったの。空襲は日に日に激しくなって、学校にも通えなくなってね。4年生だった私は父母と離れて、両親の郷里の山形へ疎開することになったんです。
10歳で親と別れたことや、学校の友達がみんなバラバラになってしまったことが寂しくて、ほんとうにつらかった。でも当時は、日本が一つになってこの戦争に勝つという気持ちを、子供でももっていたのよ。だから、みんな我慢しました。
疎開して半年がたったある日、なぜか急に胸騒ぎがしたの。それで叔母さんにお願いして「カツコキトク スグカエレ」と、うその電報を両親あてに打ってもらいました。でも、それが届けられることはなかった。電報を打ったその日に、10万人以上が犠牲になる東京大空襲があってね、父も母も亡くなってしまいました。
両親とは疎開して以来、二度と会うことはありませんでした。それがほんとうにつらくて、悲しくてね。だから、よくお寺で泣いていたのよ。
お坊さんに「寂しい」と言っても、「諦(あきら)めなさい」って返されるだけ。そんな絶望の中で、8月15日の終戦を迎えました。
ジャンヌ・ダルクの物語に
おばちゃんね、日本が戦争に負けた時、もうこの国は消滅していくのかな、とまで思いました。両親も死んで、頼るものがなくなって、すべてを失ったと感じたの。
でも、何かわからないけれど、どんなことがあっても絶対になくならないものはあるんじゃないかな、という気持ちもあったのよね。それが何なのか、子供なりに探したりもしました。
6年生の時に、お小遣いを貯めて本屋に行ったら、『フランスの白ゆり』という本を見つけてね。乙女心をかきたてられるタイトルだったから、買って読んでみました。
そこには、イギリスとの百年戦争からフランスを救った少女、ジャンヌ・ダルクの物語が載っていました。
信仰心深い彼女は、神様の声を聴いて行動し、戦いを勝利へと導いたんだけれど、最後は敵に捕らえられ、火刑に遭って亡くなるの。でもその時、ジャンヌが着けていた指輪だけは燃えずに、灰の中から出てきた。肉体はなくなっても、指輪のように消えないものだってあるんだと思ったら、とても感動したのよ。
どんな状況でも、滅びることのないものがこの世の中にはある。
それをもっと知りたい、という思いがわいてきてね。そのことが、私の信仰的な目覚めへとつながっていったのかもしれません。
つらい過去は断ち切られ
その後、私は23歳で結婚しました。
夫は10代の時に、開拓移民として満州にいたんだけれど、そこで結核にかかってしまって。それで、終戦の前に故郷の山形に帰ってきていました。
結婚する時、主人が病を抱えていたことを知ってはいたけれど、結婚後に結核が再発してね。この先どうなるのかと不安で、途方に暮れる毎日でした。
そんな、生きるか死ぬかという時に、主人は『生命の光』に出合ったのよ。知人から借りた一冊を読んで感動し、幕屋の集会に行きました。そうしたら、ものすごい聖霊の生命を受けてね、その場で回心したの。人が変わってしまったと思うほど喜んで家に帰ってきたから、もう驚きましたよ。
幕屋ってどんなところなのかなと思いながら、私も集会に参加しました。その時、暗い顔をしていた私に、伝道者の先生が何かを感じたのかもしれません。手を按(お)いて祈ってくださったんです、「悪鬼よ出でよ、聖霊に満てよ」と。何か悪いものに取りつかれているのかなと思った次の瞬間、私の中にバーッと聖霊が降(くだ)ってきたのよ。思わず、泣き伏してしまいました。
目には見えなかったけれど、こんな私をも抱きしめてくださるキリストの愛が伝わってきてならなかった。
実はその先生も、幼い時に両親を亡くしておられたのね。だから、私の気持ちがよくわかるっておっしゃって。つらい過去を断ち切り、聖霊によって生まれ変わるために、必死に祈ってくださったのだと思います。
探し求めていたものを発見
主人も私も、戦後を耐え忍ぶように生きてきました。
死にたいと思ったことはないし、生きることを諦めたくもなかったの。でも心では、どこか敗戦のこと、両親を失ったこと、体の弱い主人と結婚したことのすべてが、運命に翻弄されていると感じてつらかったです。
でも聖霊が注がれた時、私の暗い運命はキリストによって断たれたと、パッと魂に響いてきたのよ。そうしたら、突き抜けるような喜びがわいてきて。これこそ聖書が証しする、永遠の生命だったのね。敗戦の時から探し求めていたものを、私は発見したんです。
それからも、試練はたくさんありましたよ。でも、神様に祈るとどんなことも乗り越えてくることができました。そのたびに、生きていてほんとうによかったと心から喜べる、そのような者に変わってしまったの。
キリストは、敗戦を通して悲しい運命をさまよっていた私の魂を見つけて、抱え込むようにして慰めてくださった。そう思えることが、何よりも感謝です。
これからの時代を生きていくみんなも、信仰と希望をもって生きてほしいです。天のお父様は、いつもみんなを抱きしめるように、愛して見守っておられる。だから、何があっても強く生きていけます。そのことを、私は伝えたいです。
(天童市在住)
本記事は、月刊誌『生命の光』846号 “Light of Life” に掲載されています。