友を訪ねて「ふわモチのパン教室」
梅村真水
自宅のキッチンを改装して開いている梅村真水(まみ)さんのパン教室で、パン作りに初挑戦。小麦粉とぬるま湯を混ぜてこねると、べっとべと。どうなっちゃうの? と思っていると、言われるとおりにするうちに、いつの間にかちゃんと生地になり、焼くとふわふわモチモチの絶品パンに。楽しい! 大人気なのもうなずけます。
でもなぜか、この教室に来るのは、学校に行けていない不登校のお子さんや、そのお母さんが多いそうです。そういう方々の心がごく自然に開かれていくのは、どうしてなのでしょう。お話を伺いました。(編集部)
主婦になり、お菓子作りをやってみたかったんですが、市民センターでパン作りを習ったら、はまってしまって。教えられる資格まで取ったので、せっかくならと教室を開くと、紹介で広まっていきました。
不登校のお子さんやそのお母さんが来られたら、またそういう方を紹介してくださって。いろんな悩みをもつ人たちと触れ合って、劇的に変わる何かができるわけじゃないけれど……。ここでリフレッシュできれば、新しい気持ちで親も子も向き合えるのかなって。
私は、24歳で亡くなった妹が願っていたことを少しでもやっているのかな、と思うことがあります。
遠い人のよう
長野県の富士見高原で、両親をはじめ幕屋の信仰をもつ人たちに囲まれて育った、3人姉妹の長女の私と次女の朗子(あきこ)は、学生時代に東京で2人で暮らしました。
朗子は、とにかく友達の悩みを真剣に聞くんです。「うん、うん」って、まるで自分の悩みみたいに。純粋すぎる瞳(ひとみ)でまっすぐ目を見て、「ほんとうにそれでいいの? ほんとうにいいの?」とグイグイ行くので、相手はもうウソをつけなくて、全部さらけ出してしまう。だれに対しても分け隔てなく、ほんとうに親身でした。
私は学校を出ると、長野の幼稚園に就職しました。一方、朗子は信仰に輝いてどんどん変わっていきます。聖地イスラエルにも行き、教師を志して勉強しながら、幕屋にあまり行っていなかった私に、「聖会に行こうよ!」と、お金を出して勝手に申し込んでくれて。
私は、すごいなとは思うけれど、まるで自分とは遠い人のように感じていました。私はそのころ、信仰の求めもあまりないし、英語を勉強しようと仕事を辞めて、1年の予定でニュージーランドに行きました。
ある時、実家の隣のおばさんから、「朗子ちゃんが、交通事故で亡くなったのよ」と泣きながら、連絡ができる状況でなかった両親に代わって電話がありました。私は、何が何だかわかりませんでした。
私が帰るのを待ってお通夜があり、告別式には、ほんとうに多くの方が来てくださいました。
母は、それからすぐに白髪になった気がします。
ニュージーランドに戻るつもりだった私を止めようと、母が「朗子ちゃんは死んだのよ!」とたまらないようにして言いました。でも、私にだって自分の人生があるのに、と反発する思いでいっぱいでした。
そんな時、妹の死を聞いて私を心配して訪ねてきてくれた友人がいて、地元を案内したのですが、その人の一言で、私は心が変えられたんです。「すごいね。いい人たちに囲まれているんだね」というその言葉が、なぜかストンと入って、そうだ、私が生きる場所は、信仰で生きる人たちに囲まれた、ここなんだって。
こんなに近くで
実家に戻ってしばらくして、幕屋の聖地巡礼でイスラエルに行きました。エルサレムの丘で、シクラメンの花を見ながら賛美歌をうたっていたら、「真水ちゃん!」と朗子の声がはっきり聞こえました。「ここにいるよ」と言うように。
朗子はきっと、こうやって私が聖地に来ることを願っていた。もっと信仰の話もしたかったんだろうな。ああ、でも、亡くなってからでも、こんなに近くで語りかけてくれているんだなって。私にとって、見えない世界に、天の存在に触れた体験でした。
最初は、「こんなに若くして、どうしてですか?」と矛盾でした。けれどだんだん、朗子だから、神様は天国に必要とされたんだな、と思うようになりました。
朗子の生き方は、もうすごい。いろんな人に影響を与えてきました。二十何年たった今も、大学の時の友達が子供を連れて、うちの実家にたびたび来るんです。
結婚して、今は東京に住んでいる私は、教師を目指して日本の子供たちのためにと大きなビジョンをもっていた朗子と、立場は全く違うけれど、でも子供たちのためにという思いは、絶えずあります。
神様は、また朗子は、どういう姿を私に願っているのかなって、いつも問うています。
全部を出せる場に
パン教室に来た全然しゃべらない子が、作ったパンを食べたら両腕を上下に大きく動かして、身ぶりで表現してくれて、ああ、おいしいんだね! って。ここなら自分を出せると、お母さんが言ってくださいます。
不登校のお子さんと来ている、あるお母さんからは、「できた達成感と、作ったパンを家族にほめられて、自信がついて、『学校に行こうかな』となりました」という声も聞きました。
どんな人でも大丈夫、いいよ、と受け入れているので、来やすいのもあるのでしょうが、来てくれる人がいるということは、このパン教室が必要とされているのかな、と思います。ここが来る人たちにとって、信頼して心を開いて、全部を出せる場になったらいいな、と願っています。
私も、いろいろな人と話すのは好きなので。
皆さんパン作りを習いつつ、この方と話したくて来るのだろうなと思うほど、ごく自然に、ニュートラルに話ができる梅村さん。でも皆の心が開かれるのは、人柄だけでなく、神様や妹の朗子さんが願っていることを問うて生きているからなのだ、と思いました。
本記事は、月刊誌『生命の光』859号 “Light of Life” に掲載されています。